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国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回は翻訳プラットフォーム「ヤラクゼン」の開発に携わるVipul Mishra(ビプル・ミシュラ)さんにお話を伺った。さまざまな言葉、文化が行き交うネパールに生まれたビプルさんは、大好きな地図を眺めながら新しい世界に飛び出すことを夢見ていた。 ビプルさん自身も音楽がお好き 聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
生まれ故郷は奈良市っぽいところ
阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) お生まれはネパールのジャナクプル市ですね。ネパールってどういう土地ですか。 Vipul Mishra(ビプル・ミシュラ、以降ビプルさん) ヒマラヤ山脈がある、自然が豊かな美しい国です。エベレストが有名ですよね。とても多様性のある土地で、言葉も、文化も、生活も全然違う人たちが同じ国で暮らしていて、お互いの言葉も分からないということも珍しくありません。都市と村とでは生活が全く違うというのも特徴です。例えば村の方では、外から来た人が牛乳を買おうとしても、人の紹介がないと買えないというようなところなんです。 阿部川 そうなんですか! 牛を飼ってる人を紹介してもらわないと、牛乳も買えない? ビプルさん はい。カトマンズのような大都市だと普通に何でも手に入れられますけれど。ジャナクプル市は……そうですね。日本で例えると大阪とか東京とは違って、奈良市のような、どちらかというとこぢんまりした、小さめの町です。 ジャナクプル市、ネパールの地図 小学校に入学する前にカトマンズへ引っ越して、そこから小学校、中学校、高校と日本に来るまでずっとカトマンズで暮らしました。 阿部川 小さいころはどんなお子さんでしたか。社交的だとか内向的だとか。 ビプルさん 人を笑わせるのが好きだったんです。いつも変なことをして、クラスの友達を笑わせていた記憶があります。 阿部川 明るく社交的な子どもだったのですね。家にいるよりは外で遊ぶのが好きだった? ビプルさん 家で勉強しているのも好きでした。特に地図を見ることがすごく好きで、何時間も地図を見ちゃってることもよくありました。「こういう国ではこういう金属がよく取れるのか」とか、「こういうとこにはこういう木しか植えない」とか、「こういうところはこういうふうに寒い」とか、「こういうところはずーっと暑い」とか、そういうのを見るのがすっごく好きでした。
最初のPC、OSはWindows 98だった
阿部川 勉強ではどの科目が好きでしたか。 ビプルさん 1番好きだったのは、数学ですね。100点取ると誇らしかったです。 阿部川 いいですね。学校の制度は、日本と同じですか。 ビプルさん 少し違います。ネパールの場合は、幼稚園が3年、小学校が5年あって、中学校も5年。そして高校が2年間ですね。高校生になると大人扱いされるようになります。大学は、医学部を除いて通常4年です。 阿部川 なるほどね、(日本の学校制度と数字が)ぴったり合うんだな。数学以外で得意な分野はありましたか。 ビプルさん 人の捉え方によって正解が変わる科目はあんまり好きではなくて、客観的に見て間違っているかどうかが判断できる科目の方が好きでした。科学とか数学とか。だから英語やネパール語はあまり良い点数を取れなかった覚えがありますね。 阿部川 根っからの理系ですね。物理とか地学とかね。そうしたら大学に進学するとなったら、工学部やコンピュータ、そっちしか考えていなかったのですね。 ビプルさん ネパールでは小学4年生からコンピュータの科目があって。そこですごくいい点数を取れたのですごく好きだったんです。他の人がまだ課題を続けている間に自分は仲のいい友達と課題を終えて追加課題をもらって解いたり考えたり、そういうのが好きでした。 こういうのっていいですよね。自分なりにうまくできることがあって、それに共感してくれる人が近くにいて。勉強することが楽しくなる瞬間だと思います。 阿部川 そのとき(小学校4年生)のコンピュータが、人生で最初のコンピュータですか。 ビプルさん いいえ、最初は1~2年生のときだったと思います。おじがエンジニアで。当時オマーンで仕事をしていて、休暇でネパールに帰ってきたときにPCを持ってきたんです。2、3年ぐらい、そのPCでゲームをやったりしました。ただゲームじゃないことでPCを使うのは、小学校の授業が初めてでした。 阿部川 ゲーム機としては接点があったけれど、ちゃんとコンピュータとして習ったのは小学校が初めてというわけですね。最初に何をやったか覚えていますか? いきなりプログラミングをしたのですか。 ビプルさん 小学校では「Microsoft Word」や「Microsoft Excel」などオフィスソフトウェアを少し触った程度でした。あと、「Paint」でよく遊んでいました。 阿部川 オマーンのおじさんが持ってきたPCが何だったか記憶にありますか? ビプルさん メーカーは覚えてないんですけど、OSは確か「Windows 98」でした。 阿部川 98! 何ということでしょう。最近は本当に自分が年を取ったと痛感します。私は「Windows 95」のころにはもうIT業界で働いていましたから。もしかしてそれからずっと今までWindowsですか。 ビプルさん 大学に入ってからMacを使い始めました。それからはずっとMacです。ちなみに開発は基本的にLinuxでやっています。
2カ月で大学を辞めた理由
阿部川 大学はTribhuvan University, School of Engineering(トリブバン大学工学部)に入学しましたが、すぐ辞めていますね。これはどうしたんでしょうか。 ビプルさん 入学から2カ月たったとき、日本の大使館から「あなたの日本の奨学金の申請が合格となった」と通知が来たんです。大学入試の前に応募していたのですが、審査に1年ぐらいかかるって言われていたので、日本に行けるかどうかも分からないし、取りあえずちゃんと大学に行こうかといったん進学したんです。 阿部川 どうして日本の奨学金制度に応募したのですか。 ビプルさん 幼いころから海外に憧れがあったんです。世界の有名な建物の写真を見たり、ハリウッドの映画を見たり、日本のアニメを見たり。高校時代はもう、ずっとハリウッドばっかり見て時間を過ごしていました。いろいろなところに行って、いろいろな人たちに会って、いろいろなもの見たかったのです。それで海外に行きたいって思っていたのですが、実家は経済的にそこまで裕福ではなかった。 そこで、他の国へ学部で行ける奨学金制度を探していました。ある日、高校の掲示板に日本大使館に推薦されて日本に行った卒業生の写真が貼られているのを見て「これは道があるんじゃないかな」と思って、1~2年ぐらい受験勉強を頑張って応募しました。 阿部川 奨学金の試験っていうのは、どんなものだったんですか。 ビプルさん 物理、化学、英語、日本語、数学――他にもありましたけど、忘れちゃいました(笑)。5、6教科ぐらいペーパー試験を受けて、その後大使館が世界中の学生の中から数人の合格者を選んで日本の文部科学省へ推薦します。私はその間に大使館のすごく偉い人と面接をして、さらに日本の文部科学省でも審査を受けました。 阿部川 そして大阪大学日本語日本文化教育センターで学部留学生プログラムを受けたのですね。 ビプルさん そうです。そこで日本語と物理、化学、数学を学んで、その後試験を受け、試験の点数によってどこの大学に行けるか、大学にそもそも行けるかという審査がまたさらにありました。 阿部川 何回試験させるんだっていう……。でも、それらをパスして、大阪大学の工学部へ進学したのですよね。専攻は情報工学。1番勉強したのはどんなことだったんでしょう。 ビプルさん 確率や統計の科目ですね。すごい時間をかけて勉強した覚えがあります。今もかなり役に立っています。機械学習はほとんど確率統計ですから。
大学院から「言葉を解析すること」に興味を持つ
阿部川 その後、奈良先端科学技術大学院大学の大学院で情報工学を専攻されます。修士論文はどんなことを書いたのですか。 ビプルさん ソーシャルメディアのテキスト解析によって、「どういう音楽を聴く人がどういう感情を表現するのか」を調べました。ロックを聞く人は楽しい言葉をよく使うのか、悲しそうな言葉をよく使うのか、メタルやパンクを聞く人は言葉もきついのかとか。そういうことに興味を持って、解明したいと思って研究を進めました。 小学校のときは言語系に苦手意識があったビプルさんが、大学院では言葉の解析に関わるというのは面白いですね。言葉という定性的なものを定量的にすることは、翻訳はもちろん、AI(人工知能)などにも有用なので夢が広がりますね。ちなみに私は「答えが1つではない」という理由で国語(特に文章題)が好きでした。 阿部川 「ロックやパンクが好きな人は暴力的な言葉をよく使う」とか? ビプルさん 確かにコミュニティーの単位で見ればそういう傾向は高かったんですけど、その人たちが別のコミュニティーに投稿するときは表現が変わっていました。だから、「人自体がそういう感じを持っているのではなくて、コミュニティーに合わせている」という結論が出ました。 阿部川 なるほど、ロック好きで集まっているときは強気だけど、1人になるとそうとは限らないと。 ビプルさん そうです。「言葉を使って言葉を解析して、何かを研究する」ということをやっていました。基本的にソーシャルメディアを対象にしていました、研究室の名前が「ソーシャルコンピューティング研究室」なので。 阿部川 在学中からお仕事をされていたのですよね。 ビプルさん クレブという会社で1年間、アルバイトをしました。溶接機器の研究開発で用いるソフトウェアなどを作っていました。 阿部川 もう完全にプログラマーですね。 ビプルさん そうです。基本的にそこでソフトウェア開発を学んだと自覚しています。山下さんっていうボス(上司)がすごく優しくて、面白くて、すごく丁寧に教えてくれました。 クレブは外国語学部の友達に紹介してもらったんです。その友達も開発に興味を持っていてアルバイトをしていたのですが、たまたまランチ会みたいなもので会ったときに「ビプルもやれば」って紹介してもらいました。 阿部川 偶然といえば偶然ですけど、そういうのはやっぱ引き合うんでしょうね。
「めっちゃ忙しい経験」が生きている
阿部川 その後、アルバイトで英語の先生もされていますね。これはまたどうして。奈良先端大、プログラミングと来て、英語の先生とは。 ビプルさん それには理由があって。大学4年生になって研究室に入るとすごく忙しくなるので、クレブのアルバイトは続けられなくなってしまったのです。すごく残念でした。そこで少し手軽にできるアルバイトを探していて、先輩がやっていた先生のバイトを受け継ぎました。 阿部川 英語の先生をやりながら、研究室のお手伝いをするのは本当に忙しかったでしょう。 ビプルさん はい。みんなその話ばっかりしていました、めっちゃ忙しいね、めっちゃ忙しいねって(笑)。 研究室には新人研修が3カ月あるので本を3冊か4冊ぐらいカバーしないといけないし、プログラミングもバイト先では「C#」だったんですけど、研究室では「Python」で。それを習得するも大変でした。 阿部川 違う言語を一気に2つ3つやんなきゃとか。でもそういう体験が全部生きているんですね。 ビプルさんには遠く及びませんが、自分も大学のころ、アルバイトと学業と研究の掛け持ちは大変でした……。でも当時の資料のまとめ方、数値を測定するときの注意点、発表の質疑応答などはその後しっかり生きていますので、大変な経験というのは財産なのだなと思います。 阿部川 プログラマー、エンジニアといった道を進み始めたわけですが、小さいころはどんな職業に就きたいと思っていましたか。 ビプルさん 小学校低学年までは宇宙飛行士になりたいと結構真面目に考えていました。でも、宇宙飛行士の育成スペースプログラムを持っている国の人じゃないと(訓練施設に)入れないことが分かって、ネパールにはないので難しい。ならば宇宙関連の仕事でもやろうかと思ったんです。 他にも興味があることはたくさんありましたよ。中学生のころは、数学とコンピュータサイエンスが生かせる仕事をしたいと思っていました。大学のころは数学が好きだったので、グラフィックスや暗号、機械学習に関する仕事が楽しそうだなと思っていました。 阿部川 方向性としてはエンジニアリングですね。もう宇宙に行こうという夢はそこですっぱり? ビプルさん いや、夢は捨てられません。明日行けるならすぐ行きます(笑)。 多様な価値観を持った土地で育ったネパールの少年は、既存の仕組みにとらわれることなく、さまざまなことにチャレンジする青年となった。後編は現在の仕事のことや、将来の夢について伺う。
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