Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/c15e6cc03f53b3ce27e81d7cde036c33e0e76d70
世界の8千メートル峰14座の完全登頂を目指していた写真家の石川直樹さんが、10月4日、最後に残ったヒマラヤのシシャパンマ(標高8027メートル)の登頂に成功した。昨年10月7日は同じシシャパンマの登頂を目指して7800メートル地点までたどり着いたが、雪崩が起きて他の2つのパーティが巻き込まれるのを目の当たりにし、危険を感じて撤退している。2年越しの成功について、帰国して間もない石川さんに話を聞いた。 【写真】10月4日にシシャパンマに登頂した石川さん * * * ――14座の完全登頂おめでとうございます。昨年は雪崩が起き、石川さんもよくご存じだったアメリカの女性登山家アンナ・グトゥとジーナ・ルズシドロ、シェルパたちが遭難するのを目撃されました。今回はどのようなルートを選ばれたのでしょうか? 石川 去年アンナとジーナが登ったルートは再び雪崩が起きる可能性があるので、僕が参加していた「イマジンネパール隊」はそこを避け、2006年にスペイン隊が登頂に成功したルートで登りました。ベースキャンプにいた時に3日間ほど雪が降り続いて、あちこちから雪崩の音が響いていましたから、ちょっと怖かったですね。雪の状態が落ち着くのを待ち、最初はスノーシュー(雪上歩行具)を履いて登っていきました。 18年間誰も使わなかったルートですから、本当にここでいいのか? 行けるのか? という気持ちで、慎重に進んでいきました。10月1日にベースキャンプを出発して標高6300メートルにある第一キャンプへ、2日に6800メートルの第二キャンプへ、3日に7000メートルの第三キャンプへ。4日の深夜2時に頂上を目指して第三キャンプを出発したんですが、雪が深くて想像以上に時間がかかってしまい、登頂したのは夕方でした。僕たちのルートを使って数日後に登頂した隊は、明け方には頂上まで到達しています。結果的には1日の無駄もなく順調に登れましたが、シーズンの最初に登頂した自分たちは日々手探り状態で大変でしたね。 ――石川さんのInstagramには頂上に隊員全員が立った姿を上から撮った写真が投稿されています。まわりの高峰も写っていて、本当のてっぺんに立ったのだということがわかる素晴らしい写真でした。 石川 頂上は本当に狭いスペースしかなくて、そこに全員が集まったところを、360度撮影できるカメラでシェルパの一人が撮影してくれました。無酸素で14座登頂に成功したミンマGをはじめ、仲間たちはみんな強いやつばかりでした。 僕たちの数日後にいくつかの隊が登頂を果たし、中には18歳で14座登頂を果たしたシェルパの若者や日本人女性として初めて14座に登頂した渡邊直子さんもいました。
――石川さんは登頂した時に47歳。体力的にはいかがでしたか。 石川 特に体力的に落ちたという気はしませんでしたが、前回の挑戦から1年が経ち、さらに高度順応が十分でないまま山に入ることになってしまって、それだけが不安でした。例年なら、事前に6千メートルくらいまで登って身体を慣らしてから行くのですが、今回は時間が足りず、事前の順応ができなかったので、ちょっときつかったですね。 登頂後、ベースキャンプに降りてテントの中で横になると、全身が攣(つ)ってしまい、どうやっても痛い。ふくらはぎが攣ったのを治すと次はももが攣る。そちらを治すと次は足首が攣るという具合で七転八倒しました。多分、水分量やマグネシウムなどの微量栄養素が足りず、肉離れの直前のような状態になっていたんだと思います。高所では食欲がなくなってあまり食べられなくなりますし、雪を溶かして作った水もがぶがぶ飲める感じではないので。 ――今、世界の潮流として「本当の14座登頂」、つまり山の最高点に到達しなければ登頂とは認めないというふうに変化してきましたね。石川さんも一度は登頂したマナスルで、本当の頂上までは行けなかったということで登り直しています。今回のシシャパンマで14座完全登頂を果たしたわけですが、今はどのようなお気持ちでしょうか。 石川 一つの区切りにはなったと思います。14座に登ることはリスクが高くて、ちょっとしたミスで命を落としてしまうこともある。どんなに慣れても、運、不運というのもあります。今後は、知り合いが登るときについていくということはあるかもしれませんが、自分から8千メートル峰を登る、ということはなくなっていくでしょう。 初めてエベレストに登ってから23年もやっていると、ネパールやパキスタン、チベットに知り合いがたくさんできて、これでサクッと終わるという感じではなくなっています。お金もかかるような大きな遠征は一区切りとしても、仲間たちと何か計画して山に登ることはあるでしょうね。今はシェルパたちが力をつけてきて自分たちでどんどん山に登りますし、SNSを駆使して発信もします。たとえば僕が北米の山に行くというと、仕事でなくても一緒に登りたい、というシェルパもいるんです。ぼくと共にシシャパンマに登って、無酸素で14座登頂を果たしたミンマGは、大学を出て英語や中国語、ウルドゥー語(パキスタンの国語)を話し、国際感覚も豊かです。かつては西洋の登山隊にシェルパが同行し、一緒に登頂したにもかかわらず栄光はすべて西洋人が持っていってしまう、みたいな時代は完全に終わったんじゃないですかね。
――14座登頂の記録はどのような形で発表されるのでしょうか。 石川 チョ・オユーとナンガバルバットで撮影した写真集が1冊ずつ発売されたばかりです。来年2月にはK2の写真集が出ますし、シシャパンマのことを中心にヒマラヤ遠征を振り返るノンフィクションも春に出す予定です。また、11月17日(日)にはNHKスペシャルでこの4年間の自分の軌跡をたどるドキュメンタリーが放映されます。2年後には美術館での大きな個展も予定しています。 今後は、日本国内の撮影にも力を入れていくつもりです。以前『奥能登半島』という写真集でを作りましたが、そこで縁のできた能登半島にもまた通いたいですね。お正月の大地震のあと、今回の遠征中に豪雨災害が起きてしまい、ずっと気に掛かっていました。 ――山を降りてもお忙しいですね。展覧会や写真集を楽しみにしています。 (構成・ジャーナリスト 千葉望) ※AERAオンライン限定記事
千葉望
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