Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/cb9745a0882c37d52226526f2f509edd0f7cc462
東大、青学大などに通う大学生5人で結成した遠征隊が10月12日、ネパール・ヒマラヤ山脈にある未踏峰の登頂に成功した。大学生たちが命を張って成し遂げた快挙の裏には、「誰も見たことのない景色を見たい」という若き野心、そして「大学山岳部の衰退に歯止めをかけたい」という切実な思いがあった。19日に下山し、11月1日の帰国を前に現地に滞在していた5人が、大冒険の一部始終を語ってくれた。 【写真】「これを生で食えば…」と隊長が手にしたものは… * * * 今回、標高6524メートルの未踏峰「プンギ」の登頂に成功したのは、井之上巧磨さん(青山学院大学・4年)、尾高涼哉さん(東京大学・4年)、横道文哉さん(立教大学・4年)、中沢将大さん(立教大学・4年)、芦沢太陽さん(中央大学・3年)の5人。各大学の山岳部で主将や副将を務めるエース部員たちだ。 5人は以前から未踏峰への憧れを抱いていた。エベレストのような8000メートル峰でさえ、ネット上には詳細な登頂ルートが写真つきで紹介されている現代。そんな時代で、人類が行ったことのない場所を目指すことに、大きな意義とロマンを感じた。 だが、ハードな海外遠征の目標を共有できる仲間を一つの大学内で集めることは難しい。そこで約1年半前、所属する日本山岳会学生部で知り合った、高い志と登山技術を備えたメンバーでタッグを組むことにした。 登頂にあたりこだわったのは、山岳会のOBやOGに頼るのではなく、学生である自分たちの力で挑戦することだ。「日本山岳会学生部プンギ遠征隊」隊長の井之上さんは、こう振り返る。 「僕たちは、探検的精神によって未知なるルートを開拓していく営みこそが登山の醍醐味(だいごみ)だと思っています。格上の大人に同行すれば、登頂の成功率は上がるけれど、どうしても連れて行ってもらう形になってしまう。それでは面白くないなと」
■100万円超の登山費用をどう集める? とはいえ、5人はまだ登山歴数年。背伸びをしすぎて高難度の山に挑めば、歯も立たずに撤退、最悪命を落としかねない。そこで白羽の矢が立ったのが、2022年秋に日本山岳会ヒマラヤキャンプ隊が登頂に挑んだものの失敗した未踏峰・プンギだった。 「当時の報告書を読んだり、実際に隊員に会って話を聞いたりして、登頂成功のための戦略を練りました。前回は隊の人数が少なく登山期間も短かったため、3人中2人が高山病にかかり敗退していた。しっかり高所順応できるよう2カ月の登山期間を設けつつ、誰かが動けなくなっても他のメンバーで山頂を目指せるよう5人の人員を確保すれば、勝算はあると考えました」(横道さん) 万一に備えて、ヘリコプターでの救助費や治療費をまかなえる1人あたり16万円の山岳保険にも加入した。だが、ヘリが向かえるのは標高5700メートル地点まで。それより高い場所で事故がおきれば救助は不可能だ。だからこそ今回は、普段ロープなしで登るような所でもきちんとロープを出すなど、慎重に慎重を期すことにした。 準備にあたり、どうしても5人の力だけでは難しい場面では、大人の力も借りた。 国内の山にはないクレバス(氷河にできた深い割れ目)に仲間が落ちた場合のレスキュー技術を学ぶため、日本山岳会を通じてプロのガイドをつけてもらい、垂直に反り立つ崖を使って何度も練習した。1人100万円以上かかる登山費用は、50万円分は各自山小屋でアルバイトをするなどして捻出しつつ、残りは各大学山岳部のOB・OGたちに寄付を募り、総額350万円を確保した。 また、「長期の海外遠征成功のカギはチーム仲の良さ」という大人たちからのアドバイスを受け、ミーティングなど事あるごとに顔を合わせ、互いへの理解を深めてきた。 「去年の冬は、3日おきに雪山に入りました。ずっと一緒に過ごすうち、『こいつは朝やたらテンションが高いな』とか、メンバーのことが手に取るように分かってくる(笑)。プンギでの経験をもとに断言できるのは、6000メートル超えの環境では全員が肉体的にも精神的にも限界を迎えるということ。チーム内にわだかまりがあったら、けんかになってもおかしくなかったと思います」(井之上さん)
■6000メートルを超えると、別世界 1年半にわたる準備期間を経て、9月5日、5人はネパールへと出発した。首都カトマンズに着くと中沢さんが感染性の胃腸炎で40度近い高熱を出したり、山に向かう途中の村で井之上さんがスマートフォンを盗まれたりとピンチにも見舞われた。それでも標高3000メートル、4000メートルと少しずつ体を高所に慣らし、21日には無事4700メートル地点にベースキャンプ(食料や資材を置いておく基地)を設営した。 しかし、酸素濃度が地上の約半分となる6000メートルを超えると、これまで経験したことのない世界が広がっていた。 「山の西側の斜面を登っていたので、朝は-20℃近くまで気温が下がりました。体の末端まで酸素が回らないので、指先を動かして血を送り続けないと凍傷になりかねない。日本の冬山とはレベルが違う寒さでした」(尾高さん) 「高山病で頭が痛くて、なかなか寝つけない。ここまで高度が上がると、順応より消耗のスピードのほうが速いので、長居はできませんでした」(横道さん) 未踏峰ならではの困難もあった。2年前の遠征隊は6100メートル地点で撤退しており、その先の情報がない。6200メートル地点に入るとクレバス帯が出現し、足止めを食らった。なんとか突破するも、その先の切り立った岩を越えるには手持ちのロープでは足りず、やむなく最終キャンプ地に引き返した。 自分たちが進む道は、果たして頂上までつながっているのか……。不安を抱えながらも、1週間後、装備を増強して再び山頂を目指す。 10月12日午後0時19分。ついに、5人そろってプンギの頂を踏んだ。 「6524メートル、人類初登頂!」 「ふぉーーー!!!」 遮るもののない見渡す限りの青空に、雄たけびと歓声が響いた。だが、喜びを爆発させたのはわずかな時間だったと、横道さんは明かす。 「最初の5分はうれしかったんですけど、ちゃんと下山できるかなと心配になりはじめて……(笑)。山頂にいたのは10分くらいでしたね」
■ワンゲル部は人気、でも山岳部は選ばれない ベースキャンプに戻ると、極限の疲労から倒れ込むように眠りに落ちたという5人。無事に生還した今、夢をかなえた実感をかみしめている。 「僕はもともと引っ込み思案な性格でした。でも、4年生の先輩たちが未踏峰に挑むと聞いて、これを逃したらチャンスはないと思い、『メンバーに入れて下さい』とお願いしたんです。一歩踏み出せば、案外なんとかなるんだなと自信がつきました」(芦沢さん) 「4年間、周りの友人が飲んだり遊んだりする中でトレーニングをして、クリスマスは毎年山で過ごして、『俺は何やってるんだろう』と思うこともありました。でも目標を達成できて、今までやってきたことは間違ってなかったと思えた」(井之上さん) ただ、5人が未踏峰を目指したのは、自分たちの夢のためだけではない。大学山岳部の人気と知名度が低迷する中、少しでも注目を集めるきっかけを作りたいという危機感があった。 日本山岳会に加盟する大学は、1980年代は約40校あったが、今や20校と半減。5人が所属する大学山岳部の部員数は、「比較的恵まれている」という青学大・立教大・中央大が10人程度で、東大は5人。他大では現役が1人しかおらずOB・OGが支えていたり、廃部に追い込まれていたりする状況もある。 背景には、冬山装備一式で50万円近くかかるなど費用がかさんだり、競技スポーツでないため報道される機会が少なかったりと、さまざまな要因がある。そのうえで横道さんはこう話す。 「コロナ禍のアウトドアブームの影響で、高尾山に登ったり山小屋でワイワイお弁当を食べたり、楽しい山登りができるワンダーフォーゲル部やハイキング部は人気です。でも、岩壁や氷壁など、あえて登山道ではない道を進む山岳部はなかなか選ばれない。氷点下で1週間お風呂に入れないような苦しい思いなんて、みんなしたくないんでしょうね(笑)」 では、5人は何に魅せられて、山岳部に青春をささげてきたのか。一人ひとり聞いてみた。
■「Z世代は冷めてる」って、遺憾です(笑) 「ロープを結びあって命を預けあう、深い絆で結ばれた仲間ができる」(井之上さん) 「大学から始めても、未踏峰登頂という壮大な挑戦ができる」(中沢さん) 「卓球部だった高校時代は団体戦に出られず悔しい思いをしたけど、山岳部にはベンチもレギュラーもない。全員がチームに欠かせない役割を担える」(芦沢さん) 「登山は人と競わない。自然を相手に、自分の足で世界を広げていける」(横道さん) 「普通に生きていたら見られない雪と岩と氷の世界で、自分だけの道を開拓できる。それだけでワクワクしませんか?」(尾高さん) 歴史に新たな1ページを刻んだ彼らは、「偉そうなことは言えませんが……」と謙遜しつつ、最後にこんなメッセージを口にした。 「世間の大人たちに『山岳部は今も頑張っているんだな』と、そして高校生たちに『山って楽しそうだな』と思ってもらえたら、僕らの遠征の一つの意義になったと思います」(井之上さん) 「Z世代は冷めてるって悪い印象を持たれがちなのは、遺憾です(笑)。僕らが昭和気質なのかもしれないけど、情熱を持っている人もちゃんといます」(横道さん) 自然との闘いの中で磨き上げた不屈の心で、5人はこれから、どんな地平を切り開いていくのだろうか。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵)
大谷百合絵
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