Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/c86a33ab5fc8b81d9c66e8b1339c7954d5fdefa5
国際的なスポーツ大会と、人権をめぐる懸念とを切り離すのは不可能だ。2022年の冬季五輪は中国で開催された。ホスト国である中国の政府は、香港の民主主義的な団体を組織的に解体し、新疆ウイグル自治区では100万人を超える少数民族のウイグル人を拘束してきた。中国政府は新疆に強制労働収容所も設けている。 一方、男子サッカーのワールドカップが現在、カタールで開催されている。資金豊富なカタールは、壮大なサッカースタジアムや高速道路、ホテルの建設にあたり、数十万人の貧しい移民労働者を搾取した。その大部分は、南アジアとアフリカから来た人たちだ。 残念ながら、五輪でもワールドカップでも、国際的なスポーツ団体は、そうした人権侵害に対して断固とした行動をとっていない。 それどころか、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長と、国際サッカー連盟(FIFA)のジャンニ・インファンティーノ会長は、時代遅れの方針に頼り、国際的なスポーツ大会は政治から切り離されるべきだと主張している。 五輪にも出場した中国のテニス選手、ポン・シュアイ(彭帥)は2021年11月2日、中国の政府高官にセクシャルハラスメントを受けたとSNSで訴えた。中国に国際的な関心が高まり、習近平国家主席が挑戦的な態度を強めていたなかでのことだ。投稿は直後に削除され、ポン選手は数週間にわたって消息不明になり、安否が気遣われた。IOCは11月21日、ポン選手とバッハ会長のビデオ通話の場を設け、ポン選手はその通話のなかで、自分は安全で元気だと話した。 その後、五輪開幕を数日後に控えた2022年2月5日、バッハ会長は中国当局と連携し、徹底して演出された公開行事をお膳立てした。その際には、ポン選手が一時的に姿を現わし、性的関係の強要を改めて否定し、現役引退も表明した。五輪閉幕以来、ポン選手は公の場に登場しておらず、バッハ会長は沈黙を保っている。 世界の注目はいま、2022年ワールドカップの開催国であるカタールに移っている。ここでも開催国は、深刻な人権問題から世の関心をそらそうと躍起になっている。そうした問題の一例が、世界水準のスタジアム8つ、長大な道路、新しいホテルなどの施設の建設に貢献した数十万人の移民労働者に対する不当な扱いだ。 そうした労働者の大半は、インド、バングラデシュ、ネパールから集められた。その圧倒的大多数は、斡旋料を支払わなければならず、その額が1年分の賃金になることも珍しくない。つまり、負債を返済し終えるまでは、実質的には奴隷労働者として働くということだ。 そうした労働者は、ドーハに到着すると混みあった寮に詰めこまれ、焼けつくような暑さのなかで長時間働くことを強いられた。そして、あまりにも頻繁に、危険な労働環境下に置かれた。
FIFAの会長の主張とは
猛暑に起因する心臓の不具合か、規制の緩い建設現場で多発した労働災害のいずれかにより、多くの人が命を落とした。カタール政府は当初、ワールドカップ施設の工事関連で死亡した労働者は3人だけだと述べていた。現在では、その数を修正し、37人が死亡したと認めている。 だが、その数字でもまだ、ガーディアン紙で報道された6500人という推定死亡者数や、ネパールの海外雇用委員会事務局が実施した調査の結果をはるかに下回っている。 にもかかわらず、FIFAのインファンティーノ会長は、カタール政府を労働慣行に対する批判から守るために手を尽くしている。ワールドカップ開幕の2週間前に、参加国の代表チームに送った書簡では、労働条件などの人権問題について声をあげるのをやめ、「サッカーに集中」するよう促した。 インファンティーノ会長は記者会見の場で、労働者搾取に対する外部からの批判は間違っており、不適切だと主張した。「私はヨーロッパ人だ」とインファンティーノ会長は語った(スイスとイタリアの二重国籍)。「道徳について説教をたれる前に、我々が世界中で3000年にわたってしてきたことに対し、これからの3000年にわたって謝罪し続けるべきだ」 だが、それはまったく違う。集団的な責任こそが、世界でも特に弱い立場にいる人たちを支援する手段になるのだ。そして、そうした集団的な責任は、第二次世界大戦の恐怖に対する集団としての反応や、基本的人権をめぐる基準の採用に根ざしている。 中国におけるウイグル人などのトルコ系少数民族にしても、カタールなどの湾岸諸国の移民労働者にしても、人権侵害を受ける立場にいる人たちは、国際的な注目や、外部からの改革の圧力を歓迎し、必要としている。被害者の苦境に世の関心を集め、当事者だけでは実現しえない監視の目が生まれるからだ。 そうした行動を支える責任を認識できない国際的スポーツ団体のリーダーたちは、自らの正当性に、そして自らが監督する試合に、害をなしていると言えるだろう。
Michael Posner
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