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日本で「スシロー」の名を知らない人はいないだろう。ただ、スシローを傘下に持つFOOD&LIFE COMPANIESが売上高1兆円の目標を掲げ、本格的な世界進出を狙っていることを知る人は少ないのではないか。ましてプロ社長、水留浩一の手腕や実像はあまり知られていない。令和の日本は企業業績の低迷、給与の伸び悩みに直面、デフレのわなから脱却できないままだが、そこから抜け出すヒントはシリコンバレーだけにあるわけではない。日本のスシローは世界制覇を実現できるのか…プロ社長の包丁さばきを味わってみよう。(名古屋外国語大学教授 小野展克) ● JAL再生の渦中にいた 水留浩一氏との出会い 私が水留浩一と出会ったのは10年以上前の2010年6月のことだ。 その日、知人の紹介で、ようやく水留とのランチにこぎつけた。私は当時、共同通信社の経済部記者で日銀キャップを務めていた。最大のテーマはJAL再生の行方だった。 JALは2010年1月、会社更生法を申請して経営破綻。政府系ファンドの企業再生支援機構の傘下で再生の道を探っていた。JALの再建請負人は、京セラを一代で築き上げたカリスマ経営者の稲盛和夫だった。最高経営責任者(CEO)となったカリスマがJALをどう再生させるのか。そこにマスメディアの関心も集中していた。 当時の水留は企業再生支援機構の常務。政府の立場を踏まえつつ、JAL再生の実務を取り回す難しい立場にあった。 私には80歳近かった稲盛が畑違いのエアラインの再建で実務的な手腕を発揮するとは、思えなかった。民主党政権の肝いりで送り込まれた稲盛に象徴的な意味はあるだろう。ただ、企業再生には、もっと繊細で着実な実務が不可欠なはずだった。そう考えると、この巨大エアラインの再生を実質的に担うのは42歳の水留の方だろうと当たりを付けたのだ。 東大理学部卒業後、電通に入社、欧州系大手コンサルのローランド・ベルガー日本代表を経て、企業再生支援機構に転じた水留の経歴から、外資系によくいるハゲタカのような人物を想像していた。 財務省の官僚や大手銀行の「エリート」たちは、本音や欲望を押し殺し、上司の顔色をうかがいながら、調整と根回しにひたすら腐心している。その一方で、時にハゲタカとすら呼ばれる外資系の人々はあけすけに金儲けをてこにした企業再生を語り、自分の野望を口にすることをはばからない。 しかし、私は、こうしたハゲタカたちが嫌いではなかった。
● 昭和の経済が崩壊 ゆがんだ古いエリートと欲望まみれのハゲタカ 私の記者としての歩みは、バブル経済の後始末と古びた昭和の企業システムの崩壊を追うことにあった。 1998年には日本長期信用銀行(長銀)が不良債権の重荷に押しつぶされて経営破綻し、一時国有化された。バブル経済の波に乗って安易な融資を繰り返した結果、不良債権の山が残った。そして20行もあった大手銀行に公的資金が注入され、3メガバンクを中心とする体制に再編される。地価の上昇を当て込んで業容の拡大に突き進んだダイエーやそごうなど日本を代表する企業が経営危機に追い込まれた。 しかし、思い起こせば、私が小学生の時に見た百貨店「そごう広島店」は、圧倒するようなスケールだった。フロアをぶち抜いた紀伊国屋書店に度肝を抜かれ、広島カープ初優勝のイベントは、豪華なエントランスで派手に盛り上げられた。そこには小学生にも伝わる力強いエネルギーがあった。 長銀から内定を取ったゼミの先輩の顔には誇らしさがあった。普通の銀行員のように自転車で中小企業を回る仕事もなければ、預金集めをするノルマもなく、そごうのような大企業の融資担当ができるエリート銀行員。バブルが絶頂を迎えようとした1980年代後半に、今はなき長銀は特別な輝きを放っていた。 そうした昭和の空気の中で育った私の目の前で、バブル崩壊とともに昭和の経済システムが崩れようとしていたのだ。企業や系列、銀行との間の株式の持ち合い、政府による保護と天下りという、なれ合いや癒着。そして政治も絡み合った利権…グロテスクなゆがみがあらわになった。 そんな中で、経済合理性で理論武装しながら株主価値の最大化という身もふたもない欲望を原動力とするハゲタカたちの言葉に、昭和の古びた経済システムをぶち壊すエネルギーと可能性を感じたのだ。 私にとって、JALの経営破綻は、昭和の経済システムの終わりを告げる最後の鐘のように思えた。 JAL破綻の直接の引き金は、リーマンショックによる国際線需要の急減だった。しかし、その背後にあったのは機材、路線、人員の3つの過剰という昭和の残滓を引きずった脆弱な企業体質だった。 JALという昭和の負の遺産と向き合う水留は、どんな人物で、何をしようとしているか。それが私の問いだった。
● ただのハゲタカとは違うプロ 稲盛和夫とJAL社員のはざまに立った水留 ハゲタカのような人物だろうという私の予測は半分当たり、半分外れた。 水留は、理知的で高い説明力を持つ切れ者だった。人間くさい洞察も含めてJALという組織の病理を分析し、稲盛というカリスマの人間性と手腕をリアルに感じ取っていた。 しかし、ハゲタカの人々のような派手な言い回しや、ことさら自分の能力を誇示するような言動がないのは、意外だった。それが、戦略なのか、もともとの人柄なのか判別がつかなかった。 水留が副社長としてJALに乗り込むことになったのは、それから半年後の2010年12月のことだ。 「君には、八百屋も経営できないな」 マスメディアでは、JALの幹部を叱咤する稲盛の言動が派手に伝えられた。 一方で副社長の水留は、パイロットの賃金を大幅に引き下げるハードな交渉の前面に立ち、金融機関とのパイプ役を担った。時に稲盛に怒鳴られながらもJALの社員たちとの調整に汗をかき、再生の舞台裏で黙々と実務に取り組んでいた。そんな、水留の動きがマスメディアを通じて伝えられることは、ほとんどなかった。 そして負の遺産を切り離したJALは過去最高益を更新、2012年9月には東証にも再上場し、再生を果たした。企業再生支援機構による政府支援も終わりを告げ、水留もJALを去った。 その後、水留がアパレル大手のワールドの専務になり、私が大学教員に転じてからも折に触れて語り合った。水留は、さまざまな組織やビジネスのありようを理知的でありながら、人間くさく、しかも少しばかり皮肉な目線で見ていた。 そんな水留があきんどスシローの社長に転じたのは2015年のことだ。水留が拠点を大阪に移したことで、交流はフェイスブックで時折やり取りする程度になった。 スシローの業績が好調であることはニュースなどで知っていたが、「彼ならやるだろう」と思った程度だった。そもそも外食産業、ましてや回転ずし業界に私のアンテナは向いていなかった。 そんな私の目線を再び水留に向けたのは、ある編集者だった。大手出版社で数々のベストセラーを手掛けた一方、鬼のように仕事に厳しいことでも知られていた。 「この間、話していた水留浩一って男に迫ってみると面白いんじゃないかな」 私は、はっとした。そのときまで編集者に水留の名を話したことすら忘れていたからだ。 編集者はすでに国会図書館まで行って水留に関する資料も集めていた。 「ローランド・ベルガーはルフトハンザの再建も手掛けているよね。その辺りのノウハウがJALの再建に生かされたのかもしれないな」と、私も気づいていなかった視点をさらりと口にした。そして、こう付け加えた。 「写真を見ていると彼の顔つきが実に興味深いね。何かありそうだよ」 こう言うと編集者は、いつものように豪快に笑い声を上げた。
● 低迷していく日本経済 デフレの真因は何か バブル崩壊による不良債権問題や金融システム不安は、公的資金の注入で鎮静化、銀行の再編やJALなど大手企業の破綻処理も一巡して、落ち着きを取り戻した。経済危機のフェーズからは、いったん脱したと言って良いだろう。 しかし、この国の経済の停滞は、いまだに続いている。平成の30年を丸ごとのみ込み、コロナ禍に沈む令和へと延びた。デジタル化で生産性を上げたアメリカや中国が1人当たりGDPを大きく伸ばす一方で、日本の稼ぐ力は伸び悩み、世界トップレベルだった経済力は、先進国から滑り落ちそうな位置まで転落しつつある。物価が継続的に下がり続けるデフレからの脱却は進まず、「安さ」ばかりが際立つ国になってしまった。 私はデフレの真因は何かという問いにぶつかった。 その一つの解として首相だった安倍晋三が掲げた日銀の異次元緩和に注目し、黒田東彦総裁の手腕を取材した。バズーカとまで呼ばれた大規模緩和は、円への過剰な信頼を破壊し、人々の欲望を取り戻すことあっただろう。 黒田バズーカは為替の円安を実現、日本企業の輸出を後押しした上、海外で稼いだドルを円換算にしたときの利益を膨らませ、収益の拡大と株高を演出した。これは失業率の低下を導き、一定の効果を生んだと言っていいだろう。 しかし、デフレの脱却という本来の目的は達成できていない。黒田日銀の挑戦は間違っていたとはいえないが、それだけでデフレの闇に光をともすことはできていない。 だとするとデフレは、どうすれば脱却できるのか。 危機フェーズならハゲタカたちの力も有効だった。合併や再編、会社分割、時には会社を破綻処理する。公的資金や国有化など政府の力を使う必要もあっただろう。 しかし、平時にじわじわと企業の力が奪われていくような慢性疾患の中では、ハゲタカたちのアクロバティックな技ではなく、もっと地に足の着いた着実な処方箋が必要なのではないか。そういえば、長銀の流れをくむ新生銀行は、ハゲタカとも称された米系ファンドの傘下に入った後も、別の投資ファンドなどを流転、十分な再生が果たせず、政府から注入された公的資金が20年以上も返済できないままだった。その果てに昨年、北尾吉孝率いるSBIホールディングスに買収される展開になった。 そこで、「プロ社長」に焦点を当てれば、何かが見えてくるかもしれないと考えたのだ。鬼の編集者の着眼点は、ここにあった。
● 「プロ社長」の水留は 解を持っているのではないか 昭和の会社員のゴールは社長になることだろう。それはカイシャという村社会のボスになることを意味する。しかし、社長を仕事にするプロ社長にとっては、社長であることは手段でしかなく、会社をさらに成長させることこそがゴールだ。 プロ社長となった水留からプロ社長の可能性を探りたい。そしてスシローの成長の源泉を探ることが、答えに接近する方法の一つだと思えた。 私が取材で最初にしたことはスシローのすしを食べてみることだった。ネパール人の同僚教員と一緒にスシローを訪れた。レーンを流れるすしに食欲をそそられたが、お茶の入れ方や注文の仕方に手間取った。 「あれ、スシロー初めてですか? 私は日本に来たばかりのころは生魚が苦手でした。でも今ではすっかり大好きで、よく家族で来ますよ。スシローは安くておいしいです」 そう言うとネパール人の同僚は、慣れた手つきでタッチパネルを操作、お茶を入れて、うまそうにハマチをほおばった。確かに私がスシローを訪問したのは、このときが初めてだった。 私も、さっそくサバやハマチ、中トロ、大トロと手を出した。もし、このトロが、味のあるのれんが掛かった店で、さっそうとしたすし職人が握り、磨き上げられた白木の上に、供されたら、私は何か違和感を覚えただろうか。ネタだけでなく、少し温かいシャリは甘味があって癖になりそうだった。 2人で、たらふく食べて勘定は2500円程度。しかも、日本とまったく違う食文化のネパール人の舌もしっかりつかんでいる。 売上高の目標1兆円を掲げ、半分は海外で稼ぐという水留のゴールは、絵空事ではないのだと感じた。
● 日本のデフレの原因は? 水留の強烈な答え 私が久々に水留と再開したのは2020年11月のことだ。 スシローは持ち株会社に移行、翌春には社名もFOOD&LIFE COMPANIES(F&LC)に変更する準備を進め、東京にもオフィスを構えていた。千代田区丸の内のビルの8階からは、皇居を一望することができた。 私はふと、あるハゲタカの言葉を思い出した。 「日本企業の人は外資を疑いますからね。こうして東京の景観を一望できるオフィスに招くと、みな驚いて、我々の言葉に耳を傾ける第一歩になるのですよ」 この東京オフィスの立地にも水留の強い野心が感じ取れた。 久々に会った水留は黒いタートルネックにジャケット、黒マスクというスタイルで、相変わらず銀縁メガネの奥の目を細めていた。少し雑談をした後で、本題の一つを切り出してみた。 日本のデフレの原因は何だと思いますか――。 「僕の答えは簡単ですよ。経営者の怠慢です」 水留は特に気負うこともなく、こともなげに答えた。会社に稼ぐ力がなければ、従業員の給与は上がらず、消費意欲は高まらない。給与が伸びない限りデフレは続き、その責任は儲けを出せない経営者にあるというわけだ。 この言葉は、外食を苦境に陥れたコロナ禍にあっても利益を上げ続け、従業員の給与を引き上げた水留の経営者としての自信の表れでもあるだろう。さらに言えば、サラリーマン社会の頂点であぐらをかく、昭和的な社長たちへの強烈な皮肉でもある。 ただ、その一方で、この言葉はF&LCの快進撃が止まったとき、ブーメランのように水留自身に返ってくるだろう。 「うちの取締役は僕以外の8人全員社外です。僕がダメな社長だと判断されたら、すぐにクビを切られますよ」 F&LCの社外取締役には、元ネスレ日本社長の高岡浩三ら一流の経営のプロが顔をそろえている。水留に忖度して地位にしがみつく必要などないメンバーだ。水留の言葉にウソはなさそうだ。 この連載では二つの問いを立てたい。 まず、プロ社長とは何かを問う。これは、必然的に、日本の平成の大停滞の真因を探ることにもつながっていく。 そして、スシローは世界で勝てるのかを問う。これは、アメリカの食文化であるハンバーガーのグローバル化に成功したマクドナルドのように、日本の食文化であるすしもグローバル化できるのか、という問いにも通じるだろう。 この二つの問いを基に、水留浩一の実像とスシローの強さに迫ってみたい。 (文中敬称略) 連載『スシロー「世界制覇」の野望』は随時、記事を配信していく。 次回は、京樽の再生を取り上げる。京樽がF&LCの傘下に入ったのが2021年4月。9月に京樽のメニューは一新され、11月からグループの回転ずし「海鮮三崎港」の看板も「回転寿司みさき」に順次、掛け替えられている。持ち帰りずし、回転ずしの名門ブランドである京樽が、プロ社長、水留浩一の手腕でどう再生されるのかに迫る。
小野展克
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