Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/cd4abd9a13096d4c841e2ae94985d66c35c3c87e
日本在住の外国人が新型コロナウイルス禍でさまざまな困難に直面する中、群馬県太田市の一般社団法人「在日ネパール人サーザ福祉協会」が、同胞と地域社会や行政をつなぐ懸け橋になろうと奮闘している。1991年に来日した理事長のブッディ・セルチャンさん(64)=太田市=は「1人では何もできない。みんなで力を合わせることが大事だ」と語る。【妹尾直道】 出入国在留管理庁などによると、留学生を積極的に受け入れる政策などの影響で、2021年6月現在の在日ネパール人は9万7026人と、11年末から約5倍に増えた。県内でも、工場が多い東部を中心に3061人(20年12月現在)が暮らしている。 しかし、日本語が不自由で、行政手続きや通院などのさまざまな面で支障をきたすネパール人も少なくない。そこで、既に県内に住んでいたネパール人同士で13年に協会を設立し、ボランティアで同胞からの相談に応じたり情報発信を進めたりすることにした。 協会が特に力を入れてきたのが、地域社会や行政とのつながりの強化だ。地域のイベントや清掃活動、防災訓練などに参加するだけでなく、16年の熊本地震の際は被災地に支援物資を送り、19年の台風19号の際は被災した栃木県佐野市でボランティアに携わった。 一方、新型コロナの感染拡大が本格化した20年以降、協会にはこんな相談が相次いで寄せられるようになった。「仕事が減って生活できない」「帰国したくても帰れない」 特に不安定な立場に置かれていたのは派遣社員だ。大人数が1台の送迎車に押し込まれ、体調不良で休もうとすると「クビにする」と言われた人もおり、「命と生活をてんびんにかけるような状態」になったという。 逆に、前橋市の日本語学校でクラスター(感染者集団)が発生した際は、ネパール人学生から「アルバイト先で出勤を断られた」との相談があった。05年に来日し、協会監事を務めるニラズ・グルンさん(39)=太田市=は「元々あった外国人の生活しづらい状況がコロナ禍で浮き彫りになった」と振り返る。 こうした状況が続く中、これまで培ってきた行政とのつながりが役に立った場面もあったという。派遣社員の苦境を把握した協会は大泉町に相談し、体調不良の時は労働者を休ませるよう町から派遣会社に促してもらった。グルンさんは「これまでの関係があってこそ。行政のサポートは非常に重要」と話す。 また、ネパールでは10月に「ダサイン」、11月に「ティハール」という大きな祭りがあり、国内のネパール料理店も例年、多くの同胞でにぎわう。そのため、協会メンバーは21年秋、県内にあるネパール料理店約50店を一つ一つ回り、大規模なパーティーを開かないよう注意喚起した。そうした取り組みに乗り出した理由についてグルンさんは「集まりたくなる気持ちも分かるが、クラスターが出ればネパール人全体のイメージに関わってくる」と説明する。 最近では県東部だけでなく、観光業の盛んな北部などにもネパール人が暮らしている。今後についてセルチャンさんは「県内の多くの市町村と連携していきたい」と語り、グルンさんは「日本人との相互理解を深め、両国の懸け橋になりたい」と話している。
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