Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/4f0ada7869a3d92e276855b1146cd94480eaf584
石川直樹さん、44歳。東京都渋谷区出身。幼稚園から高校まで一貫の私立の学校に通い、高校2年の夏休みに一人旅に出た。目的地は、インド・ネパール。現地に1ヵ月間滞在したのを皮切りに、20歳の時にアラスカの最高峰デナリに登り、23歳の時には当時の最年少記録で世界7大陸最高峰登頂を達成。その後も北極圏をはじめとする世界各地を旅しながらフィールドワークを続け、この10年間はヒマラヤの8,000m峰に登り、写真を撮っている。世界一登るのが難しいとされるK2にも二度挑戦するなど、過酷な旅を続けてきた。 【写真】写真家・石川直樹「次の旅先は宇宙。火星に行ってオリンポス山を見てみたい」 就職したことは、一度もない。その実績からすれば「冒険家」と呼ばれるにふさわしいが、自身はそうした肩書きはおこがましいと言う。写真と文章で自身の体験を伝えることを続けながら、一年の大半は写真の仕事に関わっている。職業をあえて付けるとするならば「消去法で写真家が最も適切」だそうだ。今年3月には再びヒマラヤに向かい、8,000m級の山を目指す予定らしく、さらには13年ぶりのJAXAの宇宙飛行士試験に応募するつもりだと語る。 40代半ばともなれば、一般的にはある程度、仕事や家庭で自分の居場所が固まり、先も見えてくる年齢。しかし、不惑を超えても石川さんは極地と呼ばれる場所へ向かい、旅を続ける––。彼は一体、何に突き動かされているのだろうか? 石川直樹/写真家 東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程を修了。2000年に北極から南極までを人力で踏破するプロジェクト「Pole to Pole 2000」に参加。2001年には、当時の世界7大陸最高峰登頂の最年少記録を塗り替えた。関心の対象は人類学、民俗学に及び、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年「NEW DIMENSION」(赤々舎)、「POLAR」(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年「CORONA」(青土社)により土門拳賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した「最後の冒険家」(集英社)、「極北へ」(毎日新聞出版)ほか多数。最新刊に「シェルパの友だちに会いにいく」(青土社)、コロナ禍の東京・渋谷を撮影した「STREETS ARE MINE」(大和書房)など。 石川直樹さんは、1月24日(月)に開催するFRaU×環境省によるYouTubeライブ「5分でできるSDGs~みんなで考える、“再エネ”と私と地球~」にゲスト出演されます。詳しくはこちらをチェックください。
「生きることに集中する」
「17歳のときに訪れたインドやネパールには、日々をどうにかこうにか懸命に生きる人たちがたくさんいて。多様な人々の中でもまれていたら、『会社に入らなくても生きていけるんじゃないか』と思ってしまったんです。実際にそれでどうにかこうにかなりまして、今に至っています」 初めての一人旅で出会った人たちの姿が、彼の「どうにかこうにか生きていく」の元になった。安定した枠の外に出ることに不安は感じなかったのかと聞くと、「まったく」と答える。では、東京での生活になにか不満があって旅に出たのだろうか? 「ぼくは今も昔も、東京にいて過度なフラストレーションを感じてきたわけではないんです。映画館で映画を観たり、美術館に行くのも、本を読むのも楽しい。そういう街での生活も好きだけれど、自然の中での生活ももちろん好きで、半々がちょうどいい。前人未到の記録を打ち立てるということよりも、旅先で現地の人たちと交わり、土地の様子をこの目で見て、聞いて、感じたい。そうした経験を、写真や文章を通じて、興味を持ってくれる人と少しでも分かち合えたらいいなあ、という思いがあります」 そもそも旅に出たきっかけは、幼い頃から夢中になった読書だった。高校時代、降りるはずの駅に気付かず、山手線を1周してしまうほどに没頭して読んだ本の中には、いろいろな考えや選択肢が提示されていた。 「豊かな読書体験に支えられて、もうちょっと自由に生きてみようかなと思っていたら、人とちょっとだけ違うことになってしまった」と石川さんは笑う。そうして出かけた初めてのインド・ネパールへの旅は、17歳の彼に圧倒的な体験をもたらした。 「インドでは、カレーを右手でぐちゃぐちゃに混ぜながら食べますよね。日本だと手づかみでごはんを食べるとお行儀が悪いとされているのに、インドでは手を使って食べる。でも、そうやって料理が持つ熱を指で感じ、その指が舌に触れる感覚までも味わうと、食事の在り方まで変わっていく。 トイレには紙がないから、小さなバケツに汲んだ水をかけながらお尻を洗うしかない。最初はもちろん抵抗があったけど、だんだんやらざるを得なくなる。水葬が行われるガンジス川では、上流から遺体が流れてくるようなところで、子どもが水浴びを楽しみ、人々が沐浴をしている。日本だと事件になるような光景が、目の前では日常として広がっていました。自分が思っているよりも、はるかに世界は多様なんだということを、概念ではなく、体験として知ったんです」 言葉ではなく、実感として知った「世界は多様である」という事実。この体験が彼のその後を方向づけた。20歳の時にはアラスカのユーコン川を下り、北米最高峰のデナリに登攀。本格的に石川さんの冒険が始まった。 人里離れた雪と氷の世界を歩き、極北の荒野を流れる大河をカヌーで渡河。吹きすさぶ向かい風に吹かれながら、酸素が薄く極寒の標高8,000m級の頂きへ。それは、単に美しい景色に心が躍るなどという生やさしいものではなく、時には身の危険が及ぶほどの過酷な旅でもある。 「極地では、頭の先から爪先まで全身を使って生きていかなきゃいけない。例えば朝は、テントが太陽に照らされて暑くなってきたら起き、8時になったからと習慣的に朝ごはんを食べるのではなく、その日の行動によって、何をどのタイミングで摂るべきかを考える。空気が薄い標高8,000mの高地では、深く速く腹式呼吸をし、山道ではなるべく力を使わずに効率のよい歩き方をする。生きることに集中するというか、一挙一動に対して意識的に行動するようになるんです」 そんな息をつめるような場所を旅しながら、石川さんは目に映る現実に焦点をあて、シャッターを切り続けてきた。
読書や旅で没入感を得て「生まれ直す」
「写真家の仕事は、見続けることだと思っているんです。30年後や50年後の人が、受け取り方によって多様な情報や感情を引き出せる写真を撮りたい。見た人が『ああ、こういう世界があったんだな』と知ることができる“記録”ですね。例えば、地球温暖化による環境の変化も写真に撮っておかなければ、比較することもできない。2020年~2021年にかけてのコロナ禍における特殊な風景だっていつか忘れられてしまう。ただし、昔はよかったというノスタルジアに浸るのではなく、現実をなるべくありのままに写しておきたいという気持ちがあります」 確かに、ありのままを収めた石川さんの写真からは、何かの意図を押し付けられるような感覚はまるでない。それを見て何を感じるかは、見る側の自由な感性次第ということなのだろう。そんな風に、石川さんが旅を自分だけの体験にせず、誰かにシェアしたいという思いはどこからきているのだろうか。 「小学校、中学校、高校とずっと本に救われてきたから、本や出版文化に感謝があるんです。子供にとって良質な物語をひとつ読むことは、その物語を体験するのと同じことだと思っていて。ぼく自身がそうやって本や写真集の中を旅してきて、その体験が原動力となって今がある。だから、自分も誰かにとってのきっかけを作る一端になれたらいいなと」 話を聞いていると、石川さんの読書は、頭で知識を得るものではなく、物語の中に入って体験する、という感覚の方が強いようだ。そしてその子供の頃の感覚をまた味わうために、極地を含めさまざまな地へと旅をしているようにも聞こえてくる。 「旅でも読書でも、よい経験をしているときには没入感がありますね。実際に旅することって、からだ自体がそこにある環境と密接に結び付く。寒さに適応する、高所に順応していく。そうやって、その環境の中に深く入っていく。小中高時代の読書も同じです。本の世界に没入していました。大人になると段々そんな読書体験をしにくくなっちゃいますよね。スマホが手放せなくなり、いろんなことが気になって、没入する時間がなくなっちゃうのは悲しいことです。旅では個の時間が生まれるから、時々そういう状況に長く身を置くことは自分の中でバランスをとる上でも必要なんだと思っています」 コロナ禍で海外渡航が制限されるまでは、1年に2、3ヵ月、ヒマラヤに遠征に出かけていた石川さん。 「遠征中も読書は欠かせません。朝は太陽の光でテントの中が暑くなり、夜は電気がないから当然暗い。そうやって自然のリズムが体内にできていくなかで、ヘッドライトの電池残量を気にしながら、テントの中で寝袋にくるまりながら本を読むひとときは幸せです。コロナ前まではそうした遠征を、1年に1回やってきた。一挙手一投足を意識し、呼吸し、登り、食べ、眠るを繰り返す。2、3ヵ月そんな風に過ごしていると、自分の中身が入れ替わるような感覚になるんです。生まれ変わる、いや、生まれ直すという方が近いかな」 多くの人は、一生の間にヒマラヤに登ったり北極を訪れることは、なかなかないだろう。しかし、石川さんの写真やエッセイに触れることで、私たちも彼の「生まれ直すような感覚」を追体験することができるのかもしれない。
恐怖を恐れていたら、新しくて面白いものにも出会えない
人が成長し、社会化していく過程というのは、「自分はこういう人間だ」というアイデンティティや、「これが良いことで、これが成功だ」という価値観を自分の中で育て、その枠の中での成功や幸せを追求していくものだともいえる。しかし、石川さんは旅先で生きることに没入することにより、自分自身を新たな可能性にアップデートし、常に生まれ直す方向へと誘ってきた。 そんな体験をしてしまうと、どんなに大変でもやっぱり行きたくなっちゃいますねと聞くと、「やめられません」と笑う。とはいえ、危険を冒すようなシーンも多いはずだ。 「恐怖を感じるのは、見たことがない、知らないものに出会っているから。つまりそれは“新しいもの”との出会いですよね。恐怖を避けていたら、この先で出会えるかもしれない新しい何かと出会わないことになる。だから、危ないこともあるけど、旅に出たいって思ってしまうんです。行く直前とかは、やっぱり億劫になったりしますよ。パッキングが大変で、『あー日本にいた方がよっぽど楽だな』とか。でも、『ま、いっか』と。未知との遭遇こそが自分の糧になることを実感しているから、やっぱりまた旅に出てしまうんです」 日常の暮らしの中で培われた常識や限界を打ち破る「自分はもっと変わっていける」という可能性。石川さんの写真を通して、彼の体験や体感に触れることで、私たちも未知なる面白いものと出会い、使い古した価値観を超えていくことができるのかもしれない。周囲の人は石川さんをどう見ているのだろう? 「食べ物の好き嫌いが多い友人をネパールでのトレッキングに連れて行ったんです。山なんて登ったこともない、高尾山すら行ったことがない彼でさえも、現地では文句も言わずに何でも食べていました。全身を使って、人生が変わるような体験になったんじゃないか。厳しい自然の中に身を置くことで、人間の身体は、否が応にもどんどん変わっていくんじゃないかな」
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