2019年5月29日水曜日

<解説>驚きの発見、標高3000m超のチベット高原にデニソワ人化石

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190508-00010001-nknatiogeo-sctch
5/8(水) 、ヤフーニュースより

ついに2カ所目! 人類到達以前の16万年前、高地適応の遺伝子の起源か
 チベット高原の外れにそそり立つ険しい岩山。そのふもとにぽっかりと口を開けた白石崖溶洞は、チベットの人々が昔から祈祷と病気療養のためにやってくる聖なる洞窟だ。入り口には色とりどりの祈りの旗が掲げられ、風にはためいている。1980年、その洞窟のなかで、近くに住む僧侶が奇妙なものを発見した。2本の大きな歯がついた人の顎(あご)だった。だが人といっても、現代の人間のものでないことは明らかだった。

 最近になって中国の研究チームがその特徴を詳細に分析し、さらにタンパク質を抽出して調べたところ、これは16万年前の謎の旧人デニソワ人の下顎と判明した。この研究結果は、5月1日付けの学術誌「Nature」に発表された。デニソワ人はネアンデルタール人に近い種で、これまでシベリア、アルタイ山脈のデニソワ洞窟1カ所でしか発見されていなかった。

 今回の化石は、発見された中国の夏河(かが)県にちなんで「夏河の下顎」と名付けられた。この発見により、デニソワ人の謎がひとつ解明された。デニソワ人の化石はデニソワ洞窟でしか見つかっていなかったとはいえ、そのDNAはアジア全域とオセアニアの現代人に広く残っている。今回、シベリアの洞窟から2250キロも離れた夏河で顎の骨が見つかったことにより、デニソワ人が大陸のかなり広い範囲に拡散していたことが裏付けられたのだ。

 デニソワ人の祖先は、少なくとも40万年前にネアンデルタール人から枝分かれし、東方のアジアへ向かったと考えられている。そして初期のネアンデルタール人は、ヨーロッパ全域と西アジアに広がった。現生人類が最初にアフリカを出たのはおよそ20万年前のことだが、やがて中東でネアンデルタール人と出会い、交配した。さらに一部は東へ向かい、アジアへ入ると、そこに住んでいたデニソワ人と交わった。それが、現代のアジア人のなかにデニソワ人のDNAが残されている理由である。

 デニソワ人が残した痕跡のひとつが、現代のチベット民族とネパールを中心に暮らす少数民族シェルパが持つ、高地環境への適応力と言われている。過去に唯一、デニソワ人の化石が発見されていたデニソワ洞窟は標高700メートルだったが、夏河は3280メートル。デニソワ人が、低酸素環境に適応するDNAを持つ現代チベット人と同じ高地まで到達していたことを示す初めての証拠だ。また、気候の厳しいチベット高原で現生人類が活動したことを示す最古の証拠は4万年前のものだが、夏河の化石はその4倍も古い16万年前のものと判明した。
刻印の入った動物の骨と石器も
 顎の骨が発見されたのは1980年代だが、実際に研究が始まったのはそれから30年も経ってからだった。2010年に、中国蘭州大学で博士号を取得したばかりの張東菊(チャン・ドンジュ)氏は、担当教官だった陳発虎(チェン・ファフ)氏と同僚の董光栄(ドン・グアンロン)氏の勧めで、正体不明のヒト科の化石を研究することにした。陳氏は今回の論文の筆頭著者で、張氏と董氏は共著者に名を連ねている。

 最初の仕事は、下顎がどこで発見されたかを調べることだった。発見者は、ある無名の僧侶だった。僧侶はそれを、偉大な高僧の生まれ変わりとされる化身ラマ、グンタン・リンポチェ6世へ委ねたとされているが、発見した洞窟の名を伝えるのを忘れていた。

 研究チームは、最終的に夏河県の白石崖溶洞に的を絞った。現地を発掘してみると、刻印の入った大型動物の骨と石器が見つかった。これら遺物の研究はまだ継続中なため、下顎の主が属していたデニソワ人たちがこの石器を作り、動物の骨に印を刻んだのかどうかはわからないと、張氏は断っている。

 下顎の方からは、意外な分析結果が出た。アジア大陸の広い場所で見つかっている原人ホモ・エレクトスや、私たちホモ・サピエンスの化石とは異なる形態をしていたのである。歯が並ぶ形はホモ・エレクトスほど細長くないし、現生人類のような顎先がみられない。そして、最も明らかな違いは、歯の大きさだ。デニソワ洞窟で発見された化石と同じくらい大きかった。

「私が見る限り、とてもデニソワ人らしい形態をしています」と、カナダ、トロント大学のベンス・ビオラ氏は言う。氏は今回の研究には参加していないが、デニソワ洞窟で見つかった化石のエキスパートだ。「発見されるならこういうものだろう、といった見た目です」

 確認のため、研究者らは化石からDNAを抽出しようとしたが、古すぎてDNAが劣化していたため、タンパク質に頼ることにした。タンパク質は、DNAより分析結果の正確さに劣るものの、劣化のスピードは遅い。

 すると、この骨のタンパク質は概してネアンデルタール人や現生人類よりもアルタイ山脈のデニソワ人の方にはるかに近いことがわかった。

「最先端の技術を組み合わせた今回の手法は素晴らしいです」と、スペインの人類進化国立研究センター所長のマリア・マルティノン=トレス氏は話す。「古遺伝学は古人類学に革命をもたらしました。そしていまや、もうひとつの先端領域であるタンパク質の研究が、知の新たな扉を開きつつあります」。なお、氏は今回の研究に関わっていない。
新たな扉を開くタンパク質研究
 とはいえ、タンパク質からわかることは限られている。デニソワ人には、驚くほどの多様性がある。今年発表された別の研究では、デニソワ人は独立した3つの遺伝的グループに分けられることが明らかになった。しかも、そのうちのひとつのグループはネアンデルタール人とデニソワ人との違いと同じくらい、他のデニソワ人と異なっていたという。だが、タンパク質はグループ間や年代による違いが少ないため、下顎の主がこれら3つのグループとどこまで似ているのか、それともまた別の近縁グループに属するのかを見極めるのは難しい。

 米ブラウン大学の集団遺伝学者エミリア・ウエルタ・サンチェス氏は、現代のチベット人とデニソワ人が高地に適応する同じ型の遺伝子を持っていたことを、2014年に「Nature」誌に発表した研究者だ。もちろん、当時はデニソワ洞窟でしか化石が発見されておらず、彼らがどのように現生人類に影響を与えたのかはわからなかった。今回の下顎の発見で両者がつながったのは興味深いものの、明確な答えは出ていないとウエルタ・サンチェス氏はみている。

「デニソワ人が高地に適応していた可能性があるという今回の論文には同意しますが、実際に適応していたとまでは言えないと思います」

 ウエルタ・サンチェス氏によると、高地に適応した遺伝子は、あるタンパク質の量を調節するもので、特別なタンパク質をつくるわけではない。つまり、タンパク質の種類を調べても、何もわからない。下顎がいくら低酸素環境で見つかったといっても、やはりDNAがなければ、顎の持ち主が実際に高地に適応していたとは断言できないという。
高地にはまだ多くのものが隠されている
 謎はまだ多いが、ほかにもこの下顎からアジアにおける人類進化の歴史に関してどんな手掛かりが得られるのか、科学者は楽しみにしている。これまでの進化系統樹に当てはまらないアジアの古人類を、この化石を参考にしてデニソワ人と特定できる可能性もあるとマルティノン=トレス氏は言う。たとえば、20万年前の謎の4本の歯は、もしかしたらデニソワ人かもしれない。

 そしてこの化石以外にも、高地にはまだ多くのものが隠されている可能性がある。デニソワ人の化石に詳しいビオラ氏は、「アジアの高山には、まだ知られていないことがたくさんあります。今までは、まさかそんなところに人は住んでいないだろうと思い込んでいたんです」と話す。

 ビオラ氏は現在、キルギスにある標高1900メートルのセルンガー洞窟で見つかった未知の人類の化石を研究している。氏もその研究仲間も、今までこれをネアンデルタール人のものだと思っていたが、今回の論文をきっかけに、デニソワ人である可能性も検討し始めている。
文=Maya Wei-Haas/訳=ルーバー荒井ハンナ

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