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【&M連載】隣のインド亜大陸ごはん
インド、ネパール、バングラデシュ……、日本で出会うことが多いインド亜大陸出身の人たち。日本では普段、どんな食事をし、どんな暮らしをしているのでしょうか。インド食器・調理器具の輸入販売業を営む小林真樹さんが身近にある知られざる世界の食文化を紹介します。 【画像】もっと写真を見る(13枚)
力仕事の「ご褒美」 ありあわせでも丁寧な味わい
残暑厳しい、とある日。埼玉県志木市の閑静な住宅街にあるアパートの階段を、私は重い荷物を抱えて何度も往復していた。蒸し暑い日差しのもとでの肉体労働は過酷で、ふけどもふけどもとめどなく汗が噴き出てくる。 私の本業はインドの食器の輸入販売業である。インドから到着した貨物は自ら引き取りに行く。その運搬に使うトヨタ・ハイエースが小規模な引っ越しにも最適なので、時折こうして友人知人からお呼びがかかるのだ。 例えばレストランのちょっとした什器(じゅうき)や備品を運びたいといった場合。車の免許がない彼らは人力か、またはタクシーなどにたよらざるを得ない。しかしタクシーのトランクには入らず、かといって専門業者に依頼するほどでもない時に、ちょうどいいサイズの車を所有する私のことをふと思いだすのである。もちろん友人知人であるから報酬などはない。 リトゥさんもまた、そんな友人のコックを介して知り合ったネパール人女性である。彼女と共同生活していた友人のネパール人女性が同胞の男性と結婚するため、リトゥさんは都内の1人暮らし用の小さなアパートに移ることとなったのだ。 「疲れたでしょう。そろそろゴハンにしましょうか」 待ってました。それだけが目的で私は額に汗していたのだ。 リトゥさんの簡素な家財道具はあらかた車に積んでしまったが、小さな冷蔵庫や調理道具類はまだ残されていた。お昼用に残してあるのだ。ガスコンロに火をつけると、前もって作り置きしたおかずを温めなおしてくれた。 テーブルではなく畳の上にシートを敷き、その上に直接皿を置いて出来た料理をサーブしていく。ネパールでもこのように、客は直接床や土間に座って家の女性にサーブしてもらいながら食べるのが昔ながらの食事のしかたである。 バート(ライス)とダル(豆の汁もの)はネパール料理の基本だから当然ある。ダルはフライパンのまま、鍋敷きを置いて床置きされる。作った料理を鍋ごと食卓に置き皿に取り分けて食べる、というのが広くインド亜大陸では一般的な食事スタイルだ。 このほか大根とキュウリのアチャール(あえ物)、ジャガイモとインゲンのタルカリ(炒め物)、そして本日の主役の鶏肉(ククラ・コ・マス)がたっぷりと出される。ネパールから持参して少しずつ食べている、というラプシー(プラムのような果物)の漬物も添えてくれた。 どれもバタバタした引っ越しの合間に作ったとは思えない丁寧な味わいで、とりわけ鶏肉の程よい辛味と塩味が大量に汗をかいたあとにピッタリだった。合間に食べるラプシーの漬け物の酸味もまたちょうどいいアクセントとなり、それらが相まって際限なくバートのおかわりをすすめさせる。 「もっとオカズを準備できれば良かったんだけどね。荷物の片付けに追われて大したものが作れなかった」 そうリトゥさんは謙遜する。いやいやいや、と思う私。料理の本当の実力とは、食材と器具とがすべてが整った環境下で腕を振るうことより、不意の状況下でどれだけ満足度の高いものが作れるかなのではないか。こだわりの厳選素材を用い、最新の調理機器類を駆使してごちそうを作る能力も素晴らしいが、バタバタした環境下、冷蔵庫の中のありあわせで美味(うま)いものを作る能力こそ尊いものではないのかと。
豪州にいる夫とオンラインでつながる絆
食後に出された1杯のチヤ(ミルクティー)を飲みながら、リトゥさんのこれまでの歩みをざっと振り返ってもらった。 もともとネパールのカトマンズ出身。夫と娘の3人暮らしをしていたが、とりわけ娘の教育のためさらなる高収入を求めて夫婦でオーストラリア行きを決意。しかし2人で申請したものの、大使館からビザが発給されたのは夫だけで、なぜかリトゥさんにはビザが下りなかった。 「本当は夫婦そろって住むのが一番だけど。でも娘の教育費を稼ぐためには別々になるのも仕方ないじゃない?」 その後リトゥさんは進路を日本に切り替えた。日本で働く友人たちのアドバイスも大きい。夫は賃金の高いオーストラリア、自分は日本で共に働き、ネパールに仕送りすることを決めた。そしてカトマンズ市内の日本語学校で基礎を学び、そこと提携している仙台市にある日本語学校へと進学。1年後、同市内のビジネス系専門学校に進み、山梨県の大きな温泉旅館へと就職した。 「温泉旅館にはネパール人の従業員が6人もいて。一緒に寮で生活していましたよ。山梨の田舎で、もちろん周りにはネパールの食材屋さんなんか全然なかったけど、オンラインで何でも買えるから。新大久保のネパール食材店から月に数回、6人分まとめて買ってました」 今や日本全国どんな場所に住んでいようとも、オンラインでインド・ネパール食材が手に入る。一昔前には考えられなかった変化である。 「温泉旅館での勤務時間は長かったけど、日本人のスタッフさんたちは皆優しかった。自分たちで作ったネパール料理も食べられて、仕事のあとには温泉入り放題なのもよかったね。楽しかったですよ」 「温泉入り放題か、うらやましい……」 運搬作業とスパイシーな食事とで汗まみれになった私は、大自然に囲まれた露天風呂を想像して思わずつぶやいた。 実はネパールにも温泉はある。中でも有名なのが、ヒマラヤ山脈のふもとタトパニという集落にある温泉で、日本同様、肌寒い時期になるとネパール人湯治客でにぎわう。日本と違うのは入浴時に全裸になってはいけないこと。ネパールで温泉に入るのには最低限、下着は着用しなければならない。とはいえ、富士山ならぬヒマラヤを見ながら入る温泉はさぞ格別に違いない。 「そんなにいい職場だったのに、どうして辞めちゃったんですか?」 疑問に思って私は聞いた。 「そこで働いていたネパール人の同僚が東京で働きたいって言って。彼女に付き添ったんですよ。私ももう少しいい給料が欲しかったし」 こうして東京に出てきたリトゥさんは、港区を中心に複数の支店を持つフランス料理店に仕事を見つけた。確かに賃金こそ上がったものの、仕事は忙しくストレスも多い。何しろ通勤に片道1時間半もかかる。住み込みで働いていた時はゼロである。だから今でも「やっぱり温泉で働いていた方がよかったかな」と思うことが少なくない。 ちなみにリトゥさんたちが勤務していた山梨県の温泉地には、その後ネパール人をはじめとする外国人が学ぶための日本語学校が設立された。留学生たちのアルバイト先は当然、温泉旅館となる。学校を作れば留学生のアルバイト要員は確保できる。地方の温泉施設や介護施設は、それほどまでに人材不足が深刻なのだろう。日本語学校を作って外国人留学生を誘致しようという動きは山梨県以外にも出始めているという。 カトマンズにある私立の小学校に通うリトゥさんの娘さんは、将来歯科医を目指している。学業も優秀で、クラスでも成績は上位なのだそうだ。 「オーストラリアの大学を探しているけど、日本にも外国人が行ける大学はありますか?」 リトゥさんが聞いた。ためしにその場でネット検索すると、ズラズラッと外国人用の英文の募集要項が出てきた。それらのリンクをリトゥさんに送り、リトゥさんはそれを娘と彼女の通う学校の先生に転送した。電話で1校1校確認し、要項を送ってもらっていた時代に比べるとずいぶんと便利になったものだ。 ちなみにリトゥさんたちが勤務していた山梨県の温泉地には、その後ネパール人をはじめとする外国人が学ぶための日本語学校が設立された。留学生たちのアルバイト先は当然、温泉旅館となる。学校を作れば留学生のアルバイト要員は確保できる。地方の温泉施設や介護施設は、それほどまでに人材不足が深刻なのだろう。日本語学校を作って外国人留学生を誘致しようという動きは山梨県以外にも出始めているという。 カトマンズにある私立の小学校に通うリトゥさんの娘さんは、将来歯科医を目指している。学業も優秀で、クラスでも成績は上位なのだそうだ。 「オーストラリアの大学を探しているけど、日本にも外国人が行ける大学はありますか?」 リトゥさんが聞いた。ためしにその場でネット検索すると、ズラズラッと外国人用の英文の募集要項が出てきた。それらのリンクをリトゥさんに送り、リトゥさんはそれを娘と彼女の通う学校の先生に転送した。電話で1校1校確認し、要項を送ってもらっていた時代に比べるとずいぶんと便利になったものだ。 「そうだ、ダンナにも教えなきゃ」 そういうと、オーストラリアで働く旦那さんとオンライン通話をはじめた。話はすぐに脱線し、昨日今日何を食べたという話題になった。隣にいる私もスマホ越しに紹介され、「オーストラリアに行ったら一緒にゴハン食べましょう」などと手を振ってあいさつを交わす。 テクノロジーで人と人との距離が縮まったといわれる現代。しかし仕事や学業の機会を求めて世界中を視野に入れているネパール人にとって、われわれ日本人よりもはるかに地球は小さく狭いものなのかもしれない。スマホで夫と無邪気に長話をしているリトゥさんを見て、ダルバートで満たされた腹をさすりながら私はそんな風に感じた。 ■著者プロフィール 小林真樹 インド食器輸入業 インド食器・調理器具の輸入販売業を主体とする有限会社アジアハンター代表。1990年頃からインド渡航を開始し、その後も毎年長期滞在。現在は商売を通じて国内のインド料理店と深く関わっている。最大の関心事はインド亜大陸の食文化。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『日本のインド・ネパール料理店』(阿佐ヶ谷書院)『食べ歩くインド』(旅行人)。最新刊は『インドの台所』(作品社)。
朝日新聞社
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