Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/93d4524fe6850ae17b9ffbe7b307bd302d0ce0f3
配信、ヤフーニュースより
世界的登山家の故谷口けいさんが途中まで引いた未完のルートをつないだ-。谷口さんを師匠と仰ぎ、評伝を書いた静岡市清水区の登山家で山岳ライターの大石明弘さん(45)が2024年10月末、仲間2人とヒマラヤ山脈「パンドラ山」(標高6850メートル)東壁完登を果たした。登山界最高の名誉とも称されるピオレドール賞(金のピッケル賞)を日本人初、世界で唯一女性として受賞し、43歳でこの世を去った谷口さん。彼女のほかパンドラに関わって命を落とした仲間たちの遺志を背に山頂にたどり着いた大石さんの胸ポケットには、谷口さんの写真があった。 15年11月、当時は人類未到だったパンドラに挑んだ谷口さんは壁上部を越えられず惜しくも断念。その約1カ月後、北海道黒岳山頂付近から滑落死した。今回、大石さんは、谷口さんの登山仲間だった鈴木啓紀さん(45)、評伝でパンドラを知ったカメラマン高柳傑さん(36)と、谷口さんが残した写真や記録を頼りに山頂を目指した。 最後の街からベースキャンプに向かって歩き始めて15分後、落石に襲われた。大雨の影響で崩れた岩が、同行した現地シェルパの男性に直撃し、亡くなった。生き残ったもう一人の現地シェルパは過去に谷口さんの旅に同行し、彼女を知っていた。仲間を失った直後にもかかわらず「谷口さんなら、行く」と言った。
真っ黒な壁。現れたパンドラの東壁は谷口さんの写真で見た姿と違い、雪が薄く山肌がむき出しだった。標高約5300メートルから垂直に約1500メートル登らなければならない。最大の試練は4日目、最後の夜だった。残り50メートル地点で雪はサラサラになり、支えがほとんど役に立たない。「誰か一人落ちれば全員死ぬ」。体を山肌にすり寄せながら手足の摩擦でじりじりと登る極限状態で乗り切った。翌朝山頂に達し、抱き合った3人。谷口さんらの写真を広げながら「導かれていた」と無意識につぶやいた。 24年12月上旬、静岡市清水区で開いた報告会には地元経営者や登山仲間ら60人が集まった。大石さんは22年、パンドラの訓練で向かったアラスカのハンター北壁で同行カメラマンの平賀淳さんを亡くし、24年7月には友人平出和也さんらを世界第2位の高峰「K2」で失った。大石さんはギリシャ神話の「パンドラの箱」になぞらえて今回の旅を「自分の中に見えた強さが希望として残った」と受け止める。「この経験が誰かの希望になれたら。谷口さんに近づけるかな」
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