Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/fe02a8ef942077628cdea16ea7bf02135a11b522
新型コロナウイルスのワクチン確保の競争が激化している。中国やインド、ロシアを筆頭に「ワクチン外交」が展開され、各国の思惑が透けて見える。3月には日本、アメリカ、オーストラリア、インドの首脳は4カ国連携の枠組み「Quad(クアッド)」で、インド製ワクチンの増産を支援し、インド太平洋地域の途上国向けに10億回分の製造体制を整えることを発表し、アメリカの呼びかけに応じる形で日本も協力を表明した。 日本国内でのワクチン開発も始まっているものの、現状では海外メーカーのワクチンを6月末までに1億回分以上を確保するとしており、海外に比べて接種のスピードも遅い。日本のワクチン戦略の欠如について懸念する声も挙がっているが、世界共通の課題であるコロナ危機に立ち向かうため、どのような視点が必要だろうか。 国際安全保障に詳しい東京大学公共政策大学院の鈴木一人教授に聞いた。前後編に分けてお伝えしたい。 ワクチン開発が進む、インドの特殊な事情 ──中国の「ワクチン外交」を見据えて、日米豪印の「Quad」はインド製ワクチンの増産支援をし、途上国への供給を進めることを決めました。各国にどんな思惑があると考えられますか。 インドはワクチンの生産能力が高く、ジェネリック薬品がメジャーな産業で世界の6割のシェアを占めています。国内で天然痘やポリオの問題が長く続いたこともあり、ワクチン研究の水準が高いです。ただ、インド国内ではもともと治験に参加する人が少なく、ワクチンを忌避する人も多いという問題を抱えており、輸出に向いているという背景があります。 また、増産支援のほか、途上国でワクチン輸送に必要なコールドチェーン(低温度輸送)の構築にも寄与します。途上国では交通のインフラが整っておらず、国内全体にワクチンを行き渡らせることもできていないという特殊な状況があります。 一方アメリカでも、ファイザーやモデルナなどによるワクチンの国内生産が進んでいますが、5月末までは国内向けのワクチン確保を進めており、積極的には輸出していません。よって、インドの高い生産能力と輸出の余力があるのは大きなメリットです。インドとしては、中国が近隣のネパールやブータン、バングラデシュなどにワクチンを無償配布して影響力を強めようとしているため、それに対抗しようとしています。 また日本を含む東アジア諸国では、アメリカやヨーロッパほどワクチンへの熱望感があるわけではなく、ソーシャルディスタンスやマスクの着用など社会的な措置の効果が信頼されています。ワクチンはそういった社会的な措置の延長上にあるという認識があります。 日本のワクチン政策というのは、コロナ以前は基本的に途上国支援という位置付けで展開されてきたことから、今回のインドワクチン支援も悪くない話で、思惑が一致したと考えられます。
ワクチン外交は「中国色」に染まる地図ではない
──中国のワクチン外交に対するQuadの動き、アジア太平洋地域における勢力圏の構図は変わるのでしょうか。 ワクチン外交では、アジア太平洋地域を中心に「中国色」に染まっていくような地図をイメージされているかもしれません。ですが、途上国側からすれば、有効性が高ければどこの国のワクチンでも良いから欲しいという状況です。ワクチンを外交カードに使って便宜を求めるような取引をするとは思いますが、国取り合戦にはならないでしょう。 例えば、中国のワクチンに感謝をすることはあっても、全国家をあげて味方になるわけではありません。米ソ冷戦下の共産主義か自由主義の二者択一ではなく、ゼロか100かという勢力圏争いになるとは考えにくいです。 むしろこの点は、インド製ワクチンが普及することで、中国の影響力が中和されてバランスが取れるものと考えた方が賢明です。 ──中国外務省側は、Quadの枠組みによる中国包囲網の形成について「排他的な小グループを作ってはならない」と警戒しています。 この発言は、バイデン政権発足後に日本や韓国と、それぞれの国で外務・防衛の閣僚協議「2プラス2」を実施したり、Quadの枠組みを展開したりしていることに対して、中国側が外交戦略上、懸念しているということです。 誤解を生じやすいですが、ワクチン外交は米中対立のごく一部であり、切り離して考えた方が良いと思います。実際にQuadでは、ワクチン支援だけでなく、5Gなどハイテク技術分野の連携や、ミャンマーの民主主義の早期回復、北朝鮮の非核化や日本人拉致問題の解決を目指すことも確認しています。 中国ワクチン外交の「効き目」がある国 ──中国のワクチン外交の戦略の背景について教えてください。また、ソフトパワー戦略として効き目があるのでしょうか。 基本的には中国の「一帯一路」(習近平国家首席が2013年から推進している、アジアからヨーロッパ、アフリカ大陸をつなぐ巨大経済圏構想)の戦略にオーバーラップをしています。とりわけその戦略が効いているのは、その終点に当たるハンガリーとセルビアです。両国はワクチンの共同購入、分配されるEU加盟国ですが、東ヨーロッパ諸国も変異株が流行っていてかなり厳しい状況で、ワクチンへの期待が高いです。 ハンガリーはEUからの公正な分配が期待できないため、中国やロシアから独自でワクチンを受け入れています。このように欲しいのに手に入らないような個別の事情がある国々では、大きな効果が見込めます。
アフリカへの影響は?
またインドと中国の間でせめぎあっているブータンやネパール、バングラデシュのような国は、両国からワクチンを受け入れることでバランスが取れます。 一方、アフリカでは感染者や死者数の増加が目立っておらず、ワクチンへの切望感が低いです。新型コロナウイルス以外にも貧困や飢餓など苦しい状況があります。中国はケニアなどアフリカでも35カ国にワクチンの提供を初めていますが、国全体の感染を止める目的ではなく、エリートや権力者向けに提供しているという現状があります。 日本のワクチン戦略 産業界の大問題 ──対して、日本では2月から5月までに医療従事者向けにワクチン接種を進め、高齢者は4月12日から6月末までに、夏以降に16歳以上の人たちに向けて接種のスケジュールが組まれています。他国に比べてスピード感が遅く、戦略の欠如も指摘されていますがどうでしょうか。 まず日本におけるワクチンの重要性や見方について、欧米諸国とは異なることを念頭に置いた方が良いと思います。欧米のようにワクチンのみがパンデミックの出口だという位置付けではなく、ノンファーマシューティカル(薬剤に頼らない)で社会的な対策が有用であるということです。ワクチンは最終的には必要だが、緊急事態宣言やソーシャルディスタンスで感染拡大を防ぐこともでき、戦略への考え方が分かれるところです。 河野太郎ワクチン接種担当大臣。新型コロナウイルスワクチン接種の体制整備が進められるが、日本の製薬産業界の構造的な問題も根深い(Getty Images) ただ、そうした考え方とは別に、ワクチンを巡って日本では産業界の問題があります。少子高齢化社会において、もともと予防のワクチンよりも治療薬のニーズが高く、国内の製薬会社も治療薬の開発に集中しています。また、国内最大手の武田薬品は2020年の世界売上高ランキングではトップ10にランクインしていますが、研究開発費では世界トップに比べて1桁違い、人材育成にかけられる予算も大きくはありません。 塩野義製薬や第一三共などが国産コロナワクチンの開発を進めていますが、まだ自前のワクチンがないためワクチン外交を展開することができません。各国と競争するなら、厚労省の保護主義的な政策を転換し、製薬会社のあり方から変えなくてはいけません。ワクチン開発は、これまで人材育成や投資もしてこなかった分野です。 一方、ワクチン開発に多額投資しても、世界各国で大量に開発が進み、ジェネリック薬品が開発されるようになれば薄利多売な商売になります。すると、がんやHIV、糖尿病や高血圧などの治療薬に特化して開発する方がメリットがあるという見方もできます。そういった日本国内の市場がそこそこ大きいので、産業界がガラパゴス化しやすく、自国のワクチンを開発して世界的に加熱する争いに飛び込みづらい構造的な問題があります。 安全保障上は非常時にワクチンやマスクを生産する能力を準備する必要はありますが、生産コストが高い日本でそうした産業をどう支えるか。一筋縄にはいきません。 (後編では、ワクチンナショナリズムと日本のワクチン調達に求められる視点についてお伝えする) 鈴木一人◎東京大学公共政策大学院教授。1970年生まれ。2000年英国サセックス大学院博士課程修了。筑波大学助教授、北海道大学公共政策大学院教授を経て、2020年より現職。2013年12月から2015年7月まで国連安保理イラン制裁専門家パネルメンバーとして勤務。著書に『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、2011年。サントリー学芸賞)などがある。
督 あかり
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