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《小室圭さんはなぜ叩かれたのか?》日本人の反感を集めた「金銭トラブル・時期・SNS」3つの問題 から続く 【画像】秋篠宮さまの写真を見る(宮内庁提供) 数年前までは円満な家族関係のイメージが強かった秋篠宮家。しかし近年は、眞子さん・圭さんの結婚を発端に、“円満な秋篠宮家”に揺らぎが生じている。 ついには、紀子さまと眞子さんの間に“不仲説”まで囁かれる異常事態。いったい何が秋篠宮を変えてしまったのか? ジャーナリストの奥野修司氏による新刊『 マコクライシス 』より一部を抜粋。(全3回の2回目/ #1 、 #3 を読む) ◆◆◆ 〈私の両親は、孫たちに会うことを本当に楽しみにしており、また子供たちも、私の両親に会うことをとても楽しみにしています。ですから、もっと両親と私の子供たちが会う機会を多くしたいと思います。九七年も私たちはネパール、ブータンを外遊した際に、二回くらい、子供たちが御所に行って遊びました。御所に行くことをとても楽しみにしていて、玄関を入ると、いつも二人で駆け出して行きます。そして母や妹と、時がたつのを忘れるかのように遊んでいます〉 これは江森敬治著『秋篠宮さま』(毎日新聞社)から引用した一節だ。「子供たち」というのは眞子さんと佳子さまである。1997年出版だから、眞子さんはまだ6歳ぐらいの頃だろう。 場面を想像するだけでも楽しげで、一点の曇りもない一家団欒の風景が目に浮かぶ。実際、数年前までを私たちがイメージする秋篠宮家はまさしくこんな家族だった。ところが、眞子さんと小室さんの結婚を通して、これまで多くの人がいだいてきたイメージとは違った秋篠宮家が浮かんできたように思う。
「小室さんのピアノを聴きたい」
NHKのスクープで眞子さんと小室さんの婚約が明らかになったのは2017年5月だが、その年の11月、秋篠宮さまの誕生日会見で、同席した紀子さまがこう言われた。 「小室さんのピアノを聴きたいと話しましたところ、快く応じてくださり、小室さんの優しいピアノの音色を聴きながら、私たちは心和むひとときを過ごしました」 紀子さまが絶賛するのに対して、秋篠宮さまは不安そうだったという。 「当時は、娘を嫁がせる父親の複雑な心境かなと思ったのですが、今になって考えてみると、小室さんが婚約発表翌日の会見で眞子さまとの会話をペラペラしゃべったのを聞いて、困った、困ったとおっしゃったほどですから、あの時の殿下は漠然とした不安を抱えていたのではないでしょうか。浮かれていたのは紀子さまだけだったのかも……」(皇室記者)
それからほどなくすると、小室家の「金銭トラブル」や、母親の元婚約者のことが週刊誌に次々と暴露されるようになった。秋篠宮さまは心を痛めたのか、どんどん痩せていかれたという。不安が現実になってしまったのだろう。では紀子さまはどうか。 「あれほど小室さんのことを褒めていた紀子さまですが、小室家の金銭問題が週刊誌に次々と書かれると、コロッと態度を変えられたんです」(前出の記者)
「結婚反対」の意志を強めた紀子さま
結局、翌年の2月に婚約は延期されたが、この頃から、紀子さまは眞子さまの結婚に強く反対されるようになったという。 婚約が延期された年の秋篠宮さまの誕生日会見で、「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ」納采の儀を行えないと述べられたが、その場にいた記者は、それよりも紀子さまの発言に違和感を覚えたという。 「眞子さまの体調がすぐれないと言われたのはいいとして、『長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられる』と言われました。そんなことを記者会見で言う必要があるでしょうか。つまり、紀子さまは眞子さまとコミュニケーションがとれていないのだろうと思いました」(宮内庁担当記者) 紀子さまと眞子さんが互いに避けている、話し合おうとしないといったことが囁かれるようになったのはこれ以降だ。ところが、婚約内定から約4年が経過した2021年9月、紀子さまは55歳の誕生日に文書でこんな回答をされた。 「長女の結婚については、親として娘の思いや考えを受け止められるよう、対話を重ねております。こうした中、共感できることもあれば、意見が違うこともありますが、お互いに必要だと思うことを伝え合い、長女の気持ちをできるだけ尊重したいと思っております」 前年の誕生日では「対話を重ねながら、親として娘の気持ちを受け止め、一緒に考えていくことが大切だと考えています」にとどまっていたことを考えると、紀子さまの態度が大きく軟化し始め、これまでの様相と違ってきたことを関係者は感じたという。 この7カ月前の2月、天皇陛下が眞子さんに「ご両親とよく話し合い」なさいと言われたことがきっかけなのか、それとも新型コロナの蔓延で自粛を強いられたせいで家族で話し合う時間ができたのか。いずれにしろ、秋篠宮家に変化があったのだろう。 流れが変わるのはこの後である。
秋篠宮が困惑した「小室文書」
2020年11月の誕生日会見で、秋篠宮さまは「結婚することを認める」発言し、12月に入ると西村宮内庁長官が小室さんの代理人を呼び、ふたりが結婚へ進むための道筋を小室さん側へ教えたといわれる。これに応えるように出されたのがA4用紙28ページにのぼる「小室文書」だった。 しかし、ここで予期せぬ展開になっていく。 秋篠宮さまは「小室文書」を見て驚き、困惑していたという。それはそうだろう。あの文章を読んで納得できる人がいたとは思えない。 「小室さん側がだれかに相談していたら、あんな文書は出さなかったと思います。相談できない雰囲気があったんでしょうね。結婚は生きていくために必要な選択ですとまで言い切ったのに、だれとも話し合っていなかったんです」(宮内庁関係者) では、秋篠宮さまが親として、娘の結婚に向けて動いたかというと、そこまでは至っていないという。関係者によれば「小室さんはどこまで本気なのか、おそらく彼の出方を待っていたんだと思います」ということらしい。 先の天皇陛下のお言葉を受けて、秋篠宮ご夫妻と眞子さまがすぐに話し合いをしたかというと、どうもその気配はなかったらしい。その理由は、これまで親と娘の仲がうまくいってなかったから、というのが大方の見方である。 悠仁さまが誕生してから、紀子さまが「皇嗣家にふさわしく」とうるさく言うようになり、娘たちとの間でギクシャクし始めたと関係者は語っていたが、眞子さんの婚約者である小室さんが批判されるようになってさらに関係が悪くなったのかもしれない。
小室佳代さんへの優しさは「実母への反発」ゆえか
気になるのは小室佳代さんが「文春WOMAN」(2021年夏号)で、〈(眞子さんに)お会いした時には、「私は完璧な母ではないです」「ちゃんと息子を育てあげていないので」と、不安な気持ちを正直にお伝えしたんですが、それでも受け入れてくださって。(略)私は本当に感謝の言葉しか申しあげられません……〉 と語っていて、眞子さんが小室さんの母親にやさしく接していることをうかがわせている。もちろん、眞子さんが小室さんの母にやさしくしていることは取材記者の間でもよく知られていた。 「小室くんの怪しい雰囲気もそうですが、彼のお母さんを見て、品があると思う人はあまりいませんよね。雅子さまも美智子さまも、皆さんキリッとされているし、違いは明らかです。面と向かえば引きそうな風貌なのに、眞子さまは、あのお母さんにほんとにやさしく接しているそうなんです。不思議ですね」 では、実の母である紀子さまにやさしいかというと、ほとんど聞かない。実の母親よりも、他人である小室さんの母により距離が近いということは、実の母に対する反発の裏返しのようにも思える。
なぜ眞子さまは母に反発するのだろうか。 こんなことを言った人がいる。 「2018年の10月でしたが、紀子さまが初めて単独でオランダに行かれたことがありました。当時は『単独で海外訪問』と話題になりましたが、実は出発された23日は眞子さまの誕生日なんです。確かに眞子さまの婚約が延期になって11月に予定していた結婚式もなくなりましたから、なんら問題はないのですが、でもそんな状況のさなかに、それも公務ならともかく、娘の誕生日に私的訪問で海外に行くでしょうか。普通の母親なら長女の誕生日を盛大に祝って励ましてあげますよね。そのあたりの感覚が眞子さまと違うのだと思います」(宮内庁関係者) あるいは、こうも言う。 「最初は、小室さんのことをこんな素晴らしい方はいないみたいに褒めていらっしゃったのに、小室家の問題が次々と出てくるようになると、紀子さまはふたりの結婚に強硬に反対しているとか、娘の結婚はあきらめたとか、そんな話が聞こえてくるようになりました。結婚をあきらめきれない眞子さんにすれば、最後まで見守ってくれると思った母親に手のひらを返されたのですから、反発するのは当然でしょうね。うかがい知れないことは多々ありますが、そんなことがいくつも重なって、親娘が話し合えない空気がつくられたのでしょう」
「円満な秋篠宮家」は戻ってくるのか?
しかし、こんな母娘の確執はどこの家庭にもよくある話である。それよりも、気になるのは「円満な秋篠宮家」であったはずのご一家に何が起きたのかである。 平成に入って、当時の両陛下にとって初孫である眞子さまが誕生すると、紀子さまは皇太子妃の雅子さま以上にクローズアップされ、続いて次女の佳子さまが誕生すると、ご一家4人の仲睦まじさが伝えられるようになった。それがなぜ、親と娘の確執が囁かれるようになったのだろうか。 「悠仁さまがお生まれになってからではないでしょうか。それまで普通の宮家でいらっしゃったのが、紀子さまは将来の天皇陛下の妻になるだけでなく、天皇陛下の母になることも決まったのです。位人臣(くらいじんしん)を極めるとはこのことかもしれません。悠仁さまご誕生以来、紀子さまは緊張の連続だったことでしょう。悠仁さまのことを『両陛下からお預かりした大切な命』とおっしゃったり、はたから見ると悠仁さまにベタベタでした。悠仁さまが唯一の心の支えではないかと思われたほどです。『皇嗣家にふさわしく』が口ぐせのようになったのはその頃からですね。おそらく眞子さまや佳子さまが反発されたのもそのあたりが根源ではないでしょうか」(前同) 結局、両親の心配をよそに、小室さんとの結婚を翻そうとしない眞子さんに、紀子さまも秋篠宮さまも根負けしたということかもしれない。 では、眞子さんが小室さんとの結婚を強引に押し切ったかといえば、そうではないだろう。ふたりがニューヨークへ出発した11月14日、秋篠宮邸では家族で眞子さんを見送ったが、そのときの秋篠宮さまの表情から、少なくとも親娘関係がこじれたような様子はうかがえない。互いに納得するまで話し合ったような雰囲気だった。 眞子さんにしても、親娘が仲違いしたまま結婚しても、秋篠宮家の後ろ盾なしに一般人として生活していくにはリスクが大きすぎることは承知しているはずだ。たとえ母との関係が元に戻っていなかったとしても、互いに大人なのだから、いずれ紀子さまとの関係も修復されていくはずである。 「天皇家はお金持ちだし、秋篠宮家だって財産はあるんだから」眞子さん夫婦は“仕送り”を頼ればいいと思う日本人の勘違い へ続く
奥野 修司
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