Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190301-00010009-newsweek-int
3/1(金)、ヤフーニュースより
──エベレストのごみ問題に対処するため、チベット側を管轄する中国当局が、入山許可証を持たない一般観光客のベースキャンプへの立入規制を始めた
■ 年間で合計8万人以上が訪れる世界最高峰
エベレスト登山と言えば、南側のネパールから入るルートがポピュラーだが、近年はチベット側からの入山者も増えている。ネパール側のベースキャンプへ行くには2週間ほどかけて徒歩で行くか、ヘリコプターを使うしか方法がないが、標高5200mのチベット側ベースキャンプへは、車でアプローチすることができる。そのため、登山者だけでなく、ベースキャンプからエベレストを眺めるために訪れる一般の観光客やベースキャンプ周辺を歩くトレッキング目的の登山者が多い。
中国登山協会によれば、最新の統計(2015年)では、4万人がチベット側ベースキャンプを訪れた。ネパール側へは、2016-17年のシーズンに、過去最高の4万5千人が訪れた。いずれの訪問者も年々増加している。訪問者が増えればごみが増えるのが道理だ。チベット当局のウェブサイトによれば、昨春行なわれた3回のクリーン作戦により、8トンのごみが集められたが、焼け石に水だという。
中国国営新華社通信などの報道によれば、今回導入された規制は、山頂を目指す入山許可証を持たない一般観光客やトレッキング客のベースキャンプへの入山を禁止するというもの。ベースキャンプから200mほど下ったロンブク寺(標高5,000m)までは行き来できるが、そこから上へは入れない。さらに、登山者の入山許可も年間300人に制限する。
■ 登山者の質の低下や温暖化もごみ増加の要因
英BBCは、「山のように増え続けるごみ問題に対処するため、当局が異例の動きに出た」と、規制開始を伝えている。確かに、観光収入の大幅減につながりかねないこの決断は、ごみ問題の深刻さを浮き彫りにするものだ。一方、中国のソーシャルメディアには、規制実施のニュースに対して、エベレスト観光ができなくなることや経済的観点から、反発が広がった。ベースキャンプが恒久的に閉鎖されたという“デマ”に対し、国営メディアが当局の話として、あくまで当面の措置だと火消しに回るほどだったという。
ごみが増えている背景には、訪問者の絶対数の増加と共に、その「質」の低下も関係しているようだ。AFPの取材に答えたベテラン登山家のダミアン・ベネガスさんは、以前は大半の登山者が個人装備を自分で運んでいたが、経験の浅い者もやってくる今は、多くの者が全ての装備をシェルパ(現地人登山ガイド)に運んでもらうと指摘する。登山客はほぼ空身で歩くのが精一杯、シェルパは客の個人装備品だけで手一杯なので、誰もごみを持ち帰らないという悪循環が起きているのだという。
気候変動の影響もあるようだ。温暖化の影響で氷河の融解が進んでいる影響で、「エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが初のエベレスト登頂に成功した65年前から溜まり続けているごみが露出するようになっている」(AFP)という。
■ 高山ではモラルも低下する?
当局はこれまで、一定の対策はしてきた。ネパール政府は各チームにつき4000ドルのデポジット(預託金)を取り、一人あたり約8キロのごみを持ち帰れば返金するシステムを取っている。中国も、ごみを持ち帰らなかった場合の罰金制度を設けている。また、定期的にゴミ拾いのクリーン作戦を行っており、ネパール側では今年は8,000メートルより上の「デス・ゾーン」にある遺体回収も試みるという。
しかし、登山者の多くは、ごみを放置して預託金や罰金を支払うことを選択するという。筆者は、途中で挫折した元ヘタレ山岳部員だが、8キロの荷物の有無は、特に空気の薄いヒマラヤでは死活問題だということはよく分かる。それに、空気が薄く、疲労がたまっていると思考力が鈍り、行動が雑になるものだ。私はエベレストに行ったことはないが、中国・四川省の峨嵋山(がびさん=標高3,099m)に行った際に、その感覚を経験した。
峨眉山は富士山よりも低いとはいえ、3,000m級の高山だ。にも関わらず、山頂までバスで一気に登ることができるので、登山に不慣れな一般観光客も多い。大昔の学生の頃の話だが、私もバスで山頂まで行き、徒歩で下る“峨眉下山”をしたことがある。ヒマラヤ登山では徐々に高度を上げて体を慣らしていく極地法が取られることが多い(これがごみを増やす要因にもなっているとも言われる)ように、車やヘリで一気に山頂へ行けば、体調への影響をより受けやすくなる。
私が峨眉山に行った際には、同行の友人が山頂についた途端に急激な眠気に襲われ、極寒の雪原に大の字になって眠り込んでしまった。私も軽い頭痛に悩まされ、いくらかろれつも回らなくなったように思う。ボーッとした頭で薄笑いを浮かべて倒れている友人を乱暴に叩き起こして下山の道を急いだが、そのような状態で、ごみを持ち帰る余裕など持てるはずもなかろう。
■ 観光客が来ない山の清涼な風景
他の要因もあるだろうが、実際、峨嵋山の登山道の周りはごみだらけであった。それも、山頂に近いほどひどく、上の方は文字通り地面が見えないくらいビニール袋やプラスチックごみが堆積していた。世界遺産登録された今はだいぶましになったようだが、観光シーズンには係員が崖をロープで伝ってゴミ拾いをする様子が、中国メディアでしばしば報道されている。
一方、2001年には、内戦と米軍のタリバン掃討作戦が若干落ち着いた時期にアフガニスタンのバーミヤンの山岳地帯に行ったが、当地では、ごみが山積みになっているような光景はなかったと記憶している。長く戦争が続く場所に観光客が大勢来るはずもないが、現地の人たちの生活は脈々と続いていた。タリバンによって破壊された石仏があった山にも、岩肌に穴を掘った穴居に現地の人たちが暮らしていた。彼らは日常の中でスイスイと山岳地帯の稜線を歩く。バーミヤンの山は現地の人の生活の場として、風光明媚な環境を保っていた。
バーミヤンのような隔絶された土地では、地産地消のサイクルが成立していないと人の生活は成り立たない。人間の数が圧倒的に少ないことも当然関係あるが、深刻なごみ問題とは無縁な暮らしがそこにあった。ヒマラヤのシェルパ族の暮らしも、世界中から人々が押し寄せるようになった近年より以前は、似たようなものだったのだろう。AFPの取材に答えたベテランシェルパのペンパ・ドルジェさんは、今のエベレストの惨状について、「この山には、何トンものごみが捨てられている。とても不快だし、目障りだ」と吐き捨てている。
■ 山の民の苦しみは、山に住む者だけが分かる
ごみを持ち込む側の先進国でも、山に暮らす人々の思いはドルジェさんと同じかもしれない。風光明媚な山岳地帯にあるアメリカ・ユタ州のパークシティでは、町出身のNPOのリーダーが、今年5月に予定しているネパール側ベースキャンプ周辺での清掃トレッキングのメンバーを、パークシティ住民限定で募集している。
2005年にネパールに移住し、内戦の避難民などに手を差し伸べるボランティア活動を経て、現在はエベレスト周辺の植樹活動などもしているルーク・ハンレーさんは、地元の自然とアウトドア・スポーツ、ボランティア活動を愛するパークシティの住民こそが、清掃登山ボランティアに適任だと地元紙に語っている。山の民の悲しみは、山間地に住む者だけが分かち合えるという発想だ。こうしたボランティア活動の参加者を、町を限定して募集するのは比較的珍しいのではないだろうか。
山の民の心意気は世界共通だというハンレーさんの思いが当たっているとすれば、火山列島に住む我々日本人ができることも、決して少なくないのではないだろうか。
エベレスト登山と言えば、南側のネパールから入るルートがポピュラーだが、近年はチベット側からの入山者も増えている。ネパール側のベースキャンプへ行くには2週間ほどかけて徒歩で行くか、ヘリコプターを使うしか方法がないが、標高5200mのチベット側ベースキャンプへは、車でアプローチすることができる。そのため、登山者だけでなく、ベースキャンプからエベレストを眺めるために訪れる一般の観光客やベースキャンプ周辺を歩くトレッキング目的の登山者が多い。
中国登山協会によれば、最新の統計(2015年)では、4万人がチベット側ベースキャンプを訪れた。ネパール側へは、2016-17年のシーズンに、過去最高の4万5千人が訪れた。いずれの訪問者も年々増加している。訪問者が増えればごみが増えるのが道理だ。チベット当局のウェブサイトによれば、昨春行なわれた3回のクリーン作戦により、8トンのごみが集められたが、焼け石に水だという。
中国国営新華社通信などの報道によれば、今回導入された規制は、山頂を目指す入山許可証を持たない一般観光客やトレッキング客のベースキャンプへの入山を禁止するというもの。ベースキャンプから200mほど下ったロンブク寺(標高5,000m)までは行き来できるが、そこから上へは入れない。さらに、登山者の入山許可も年間300人に制限する。
■ 登山者の質の低下や温暖化もごみ増加の要因
英BBCは、「山のように増え続けるごみ問題に対処するため、当局が異例の動きに出た」と、規制開始を伝えている。確かに、観光収入の大幅減につながりかねないこの決断は、ごみ問題の深刻さを浮き彫りにするものだ。一方、中国のソーシャルメディアには、規制実施のニュースに対して、エベレスト観光ができなくなることや経済的観点から、反発が広がった。ベースキャンプが恒久的に閉鎖されたという“デマ”に対し、国営メディアが当局の話として、あくまで当面の措置だと火消しに回るほどだったという。
ごみが増えている背景には、訪問者の絶対数の増加と共に、その「質」の低下も関係しているようだ。AFPの取材に答えたベテラン登山家のダミアン・ベネガスさんは、以前は大半の登山者が個人装備を自分で運んでいたが、経験の浅い者もやってくる今は、多くの者が全ての装備をシェルパ(現地人登山ガイド)に運んでもらうと指摘する。登山客はほぼ空身で歩くのが精一杯、シェルパは客の個人装備品だけで手一杯なので、誰もごみを持ち帰らないという悪循環が起きているのだという。
気候変動の影響もあるようだ。温暖化の影響で氷河の融解が進んでいる影響で、「エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが初のエベレスト登頂に成功した65年前から溜まり続けているごみが露出するようになっている」(AFP)という。
■ 高山ではモラルも低下する?
当局はこれまで、一定の対策はしてきた。ネパール政府は各チームにつき4000ドルのデポジット(預託金)を取り、一人あたり約8キロのごみを持ち帰れば返金するシステムを取っている。中国も、ごみを持ち帰らなかった場合の罰金制度を設けている。また、定期的にゴミ拾いのクリーン作戦を行っており、ネパール側では今年は8,000メートルより上の「デス・ゾーン」にある遺体回収も試みるという。
しかし、登山者の多くは、ごみを放置して預託金や罰金を支払うことを選択するという。筆者は、途中で挫折した元ヘタレ山岳部員だが、8キロの荷物の有無は、特に空気の薄いヒマラヤでは死活問題だということはよく分かる。それに、空気が薄く、疲労がたまっていると思考力が鈍り、行動が雑になるものだ。私はエベレストに行ったことはないが、中国・四川省の峨嵋山(がびさん=標高3,099m)に行った際に、その感覚を経験した。
峨眉山は富士山よりも低いとはいえ、3,000m級の高山だ。にも関わらず、山頂までバスで一気に登ることができるので、登山に不慣れな一般観光客も多い。大昔の学生の頃の話だが、私もバスで山頂まで行き、徒歩で下る“峨眉下山”をしたことがある。ヒマラヤ登山では徐々に高度を上げて体を慣らしていく極地法が取られることが多い(これがごみを増やす要因にもなっているとも言われる)ように、車やヘリで一気に山頂へ行けば、体調への影響をより受けやすくなる。
私が峨眉山に行った際には、同行の友人が山頂についた途端に急激な眠気に襲われ、極寒の雪原に大の字になって眠り込んでしまった。私も軽い頭痛に悩まされ、いくらかろれつも回らなくなったように思う。ボーッとした頭で薄笑いを浮かべて倒れている友人を乱暴に叩き起こして下山の道を急いだが、そのような状態で、ごみを持ち帰る余裕など持てるはずもなかろう。
■ 観光客が来ない山の清涼な風景
他の要因もあるだろうが、実際、峨嵋山の登山道の周りはごみだらけであった。それも、山頂に近いほどひどく、上の方は文字通り地面が見えないくらいビニール袋やプラスチックごみが堆積していた。世界遺産登録された今はだいぶましになったようだが、観光シーズンには係員が崖をロープで伝ってゴミ拾いをする様子が、中国メディアでしばしば報道されている。
一方、2001年には、内戦と米軍のタリバン掃討作戦が若干落ち着いた時期にアフガニスタンのバーミヤンの山岳地帯に行ったが、当地では、ごみが山積みになっているような光景はなかったと記憶している。長く戦争が続く場所に観光客が大勢来るはずもないが、現地の人たちの生活は脈々と続いていた。タリバンによって破壊された石仏があった山にも、岩肌に穴を掘った穴居に現地の人たちが暮らしていた。彼らは日常の中でスイスイと山岳地帯の稜線を歩く。バーミヤンの山は現地の人の生活の場として、風光明媚な環境を保っていた。
バーミヤンのような隔絶された土地では、地産地消のサイクルが成立していないと人の生活は成り立たない。人間の数が圧倒的に少ないことも当然関係あるが、深刻なごみ問題とは無縁な暮らしがそこにあった。ヒマラヤのシェルパ族の暮らしも、世界中から人々が押し寄せるようになった近年より以前は、似たようなものだったのだろう。AFPの取材に答えたベテランシェルパのペンパ・ドルジェさんは、今のエベレストの惨状について、「この山には、何トンものごみが捨てられている。とても不快だし、目障りだ」と吐き捨てている。
■ 山の民の苦しみは、山に住む者だけが分かる
ごみを持ち込む側の先進国でも、山に暮らす人々の思いはドルジェさんと同じかもしれない。風光明媚な山岳地帯にあるアメリカ・ユタ州のパークシティでは、町出身のNPOのリーダーが、今年5月に予定しているネパール側ベースキャンプ周辺での清掃トレッキングのメンバーを、パークシティ住民限定で募集している。
2005年にネパールに移住し、内戦の避難民などに手を差し伸べるボランティア活動を経て、現在はエベレスト周辺の植樹活動などもしているルーク・ハンレーさんは、地元の自然とアウトドア・スポーツ、ボランティア活動を愛するパークシティの住民こそが、清掃登山ボランティアに適任だと地元紙に語っている。山の民の悲しみは、山間地に住む者だけが分かち合えるという発想だ。こうしたボランティア活動の参加者を、町を限定して募集するのは比較的珍しいのではないだろうか。
山の民の心意気は世界共通だというハンレーさんの思いが当たっているとすれば、火山列島に住む我々日本人ができることも、決して少なくないのではないだろうか。
内村コースケ(フォトジャーナリスト)
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