Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/ba1bb9ee9f62a825018909c45def0d09f10a20c8
バックパッカーの聖地のひとつ、カトマンズのタメル地区はなかなかの賑わいだった。 迷路のように入り組む細い路地に、ゲストハウスや食堂や、土産物屋や両替屋、旅行会社にトレッキング用品店などがびっしりと並び、雑然としたその街並みの中を旅人たちが行きかう。 【画像】日本とはなにもかもが違うカトマンズの街並み「アフターコロナのネパール」 バックパックを背負った欧米人、インド人やネパール人の家族連れ、仏跡巡りか袈裟をまとったタイ人の一団…… そのほとんどはノーマスクだ。地元カトマンズの人々も、マスクをつけているのは1割以下といったところだろうか。店頭に消毒薬が置かれているような場所はほとんどない。コロナ禍は、ここネパールではほとんど過ぎ去ったかのようだった。
■新しい中間層が観光業を支えた
「ようやく旅行者が戻ってきたところだよ」 とゲストハウスのスタッフは言う。2020年からの2年間は世界的な入国規制のため、外国人観光客がほとんど来なかったそうだ。まさに商売上がったり、だからタメルも撤退する業者が増え、もしや壊滅状態ではないかと思っていたのだが、どこも意外にがんばっているのであった。 「外国人は来なかったけど、代わりにネパール人の観光客が多くなったから」 と教えてくれたのは、旅行会社を営む知人のサキヤさんだ。このコロナ禍でも経済力を持つ中間層が増えつつあり、彼らが外国人の代わりにタメルにやってくるようになったのだそうだ。言われてみればネパール人が出入りしているクラブやおしゃれなバーも、ずいぶんと見かける。昔のタメルでは欧米人ばかりだった場所が、いまではネパール人に人気となっている。その原動力となっているのは「海外出稼ぎ」なんだとサキヤさんは言う。 「ネパール人は、家族の誰かが、世界のどこかで働いている。本当に多いんです。その人たちからの送金が、国の大きなインカムになっています」 主に中東での建設関連、警備員や工場労働、ショップの店員、それにマレーシアや韓国、そして日本ではインドカレー屋のコックとして、大勢のネパール人が働いている。彼らからの送金を母国で受け取る家族が、それを元手にビジネスを始めたり、不動産に投資をする動きが広がっている。大きく成功する人々も出てきているそうだ。 彼らが観光業を支えてきたところにオミクロンの荒波が過ぎ去り、外国人観光客が戻ってきた…… というわけだ。 とはいえ、「日本人はほとんど見ない」とサキヤさんは言う。成田空港もガラガラだったが、日本人に海外旅行マインドが戻るのは来年あたりになるのではないだろうか。
それにしても20年ぶりのカトマンズなのである。 まず驚いたのは交通量の圧倒的な増大ぶりだろうか。大通りだけでなく、あらゆる路地にクルマとバイクが殺到し、夕方のラッシュ時ともなれば道路はまるで洪水だ。なんだかネパールというよりインドの大都市のような喧騒なのである。 それに中間層や富裕層が訪れるショッピングモールがいくつもできていた。その中だけはまるでバンコクかクアラルンプールのようにきらびやかで、日本並みの値段のレストランやカフェが並び、ブランドショップがまぶしく輝く。そんな新しいカトマンズを眺めるのもなかなかに楽しい。
■カトマンズ旧市街をさまよう
そしてこの街の基礎的なたたずまいは、どれほどに時間を経ても変わっていないのだと、僕は歩くほどに知った。 中世のような石畳の路地を巡ると、不意に現れる寺院。そこから響く鐘の音。ろうそくを灯し、祈りを捧げている老婆。古い石造りの民家の合間を通り、人の流れについていってみると、今度は小さな商店がびっしりと蝟集する一角に出る。金物屋、布地、スパイス、野菜、乾物、漬物、靴、帽子、生活雑貨…… ありとあらゆる店が肩を寄せ合い、それぞれ軒先に商品を展開し、なんともカラフルだ。路地そのもの、街それ自体が市場になっているかのような景色に圧倒される。 買い物客と売り子のやり合う声、バイクの騒音、どこかから聞こえるネパールやインドのポップミュージックで、あたりはなんともやかましい。雑踏に気圧され、いくらか静かな路地に逃れると、小さなお堂の前で店を出していたチヤ(ミルクティー)の屋台のおばちゃんが微笑む。一杯いただくと、その甘さとスパイスの香りにほっと落ち着く……。 なんとも異世界だった。そして、これだと思った。日本とはなにもかもが違う街並みを歩き、その空気をいっぱいに吸い込むことが、僕にとっての旅なのだ。カトマンズはそんな気持ちをいまでも十分に満たしてくれる。コロナ禍を経ても、そこはなにも変わっていなかった。 もしかしたらパンデミックを機に、旅の醍醐味が失われてしまったのではないか。僕はそんなことも考えていた。しかしそれは、ネパールに限っていえば杞憂だったようだ。また旅の時代が戻ってきた…… 僕はそんな喜びに浸りつつ、カトマンズを歩いた。(つづく) 「越えて国境、迷ってアジア」は、アジアの国々を取材してきた1人のジャーナリストによるアジア国境越えルポだ。2022年まで「TABILISTA」で連載されていたが、「BRAVO MOUNTAIN」ではそのアーカイブをお届けしていく。※掲載情報は2022年10月取材時のものです。 アジア専門ジャーナリスト。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。
室橋 裕和
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