Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/0835228866ed0da8945d705e344f380e51d83d37
【3月5日】コロナハラスメント
一夜明けて、2人の孫とも再会。妻と一緒に2人を保育所へ送っていった。園長先生に陰性の検査結果を見せ、心配しないよう伝えた。保育所は、上の孫が園長先生に「クジラさんやサメさんに見つからないように泳いで帰ってきてと言ったのに、帰ってこない」と伝えたことで、私たちがクルーズ船に乗っていることを知り、「もっと遠いところに行った」と聞いて、仁川検疫所のことも知ったようだ。保育所を出ようとすると、孫が手を離さない。別れると、また長い間帰ってこないと思っているらしかった。きょうは早く迎えに来るからと言い聞かせ、何とか保育所を出た。 46日間、娘から毎日送られてくる孫の写真や動画にどれほど心を癒されたことか。クルーズ船のニュースを見た影響かもしれないが、孫が自分の書いた紙芝居風の絵をフリップに見立て、「手を洗わない子はウイルスにかかる子です。手を洗いましょう」と呼び掛けた動画には大笑いだった。 一方、帰国後、嫌なこともたくさん耳にした。「コロナハラスメント」などというようだが、私が入院して死にかけているとか、どこどこのスーパーで妻を見た、コロナをまき散らしているとか。2週間は外出を遠慮してほしいという話はあちこちから聞こえてきた。 日本広しといえども、PCR検査で3回も陰性のお墨付きをもらった者はそうざらにはいないはずで、「こっちの方が安全だ」と言い返したかったが、聞く耳を持たない者を相手にしても仕方がない。最初は怒っていたが、ああ、日本はこの程度の国だったのかと段々悲しくなり、怒る気力も失い、諦めの境地に至った。
◇情報統制は不信を生むだけ
ここからは、今回の経験で私が気になったこと、教訓にすべきことを記しておきたい。2月21日のニュースで、厚労省は20日以降、下船者に渡す健康カードに「2週間は健康状態を毎日チェックし、不要不急の外出は控える」と書き加えたという。19日に下船した人は、公共交通機関を使ってすでに帰宅していた。無罪放免から一転、事実上の2週間の自宅待機を命じられたようなものだ。 もう一つ、下船してから陽性が確認された静岡の乗客が、20日の下船後にすぐスポーツジムを利用したことで批判された。この人も「不要不急の外出は控える」と書かれた健康カードはもらっていなかった。 その後の報道で、厚労省は3月15日、「新たに15人の感染が確認され、乗員乗客の感染者数は計712人になった」と発表。一方、下船者1011人中の健康状態を調べたところ、7人が陽性(249人に検査を実施。残りは検査をしていないから、無症状などの感染者がいることは否定できない)だったと発表した。厚労省の方針が間違いでなかったのなら、7人の感染者についてはどう説明するのだろうか。 実は、報道された記事の最後には、「健康カードのうち、一部の人に『不要不急の外出は控える』との文言が漏れたカードを渡していた可能性がある」「船内の連絡ミスが原因」とあった。 調べてみた。3月15日、厚労省は「クルーズ船内で14日間の健康観察期間が終了し下船した方に対する健康フォローアップの終了について」というプレスリリースを出した。 そこに、「実際に配られた物」と「配る予定だった物」が資料として載せられていた。「実際に配られた健康カード」には「2/19配布(2/20以降も配布された可能性あり)」と注意書きがあり、「配る予定だった健康カード(2/20以降配布予定としていたもの)」には、最初に「この紙は2週間お持ちください」と書き加えられ、「2週間は不要不急の外出を控える」として、マスク着用や体温測定などを求めていた。 プレスリリース本文は「2月20日以降の下船者に配布した健康カードについて、本来配布する予定であった物とは異なる健康カードが配布されていた可能性がある」と説明している。ミスの原因については触れていないので、「船内の連絡ミスが原因」というのは取材によるものかもしれない。 そこで、クルーズ船検証の1級史料といえる「だぁ(On board the Diamond Princess / 乗船中乗客)」さんのツイッター(@daxa_tw) で確認してみた。「だぁ」さんは船内放送だけでなく、船内配布物もほぼすべてアップしている。私は19日未明に韓国に向かったから、19日に始まった下船時の様子を知ることはできなかったが、「だぁ」さんは21日に下船していた。 しかし、「だぁ」さんがもらった「健康カード」には「2週間は外出を控える」の文言は入っていない。そして、最上段には「差替え」と印刷されている。これは厚労省のプレスリリースの資料にはない。ここからは推測になるが、恐らく、21日に下船した人にも「2週間は外出を控える」と記された健康カードは配られなかったのではないか。 つまり、下船した乗客の誰にも2週間の自宅待機は通知されなかったのではないか。しかも、その原因を「船内の連絡ミス」で片付けようとしたのではないか。 かわいそうなのは、厚労省の方針に従って下船した静岡の乗客だ。「自宅待機」を言われていないのでスポーツジムに行ったところ、世間から袋だたきに遭った。コロナハラスメントの被害者だ。責められなければならないのは、厚労省の方だ。 厚労省に出した要望書の最初に、「情報統制は不要、情報公開を」と書いたが、情報を隠したり、発表を遅らせたりしても何も良いことはない。不信感を生むだけで、災害時には一番慎まなければいけないことだ。良い情報も、悪い情報も(大体、悪い方が多いが)できるだけ早く公開すること。「○○の発表することなら間違いない」と信頼を得るには時間がかかるが、信頼を失うのは一瞬だ。 災害時、情報収集はボトムアップ、判断はトップダウン、これが原則だ。適切に情報を収集し、蓄積された経験と専門家の知見で分析し、そして積極果敢に判断する。「躊躇(ちゅうちょ)なく」を繰り返し言っているうちは、躊躇している証拠。間違いはないに越したことはないが、間違えたら、皆そろって道を戻る。ばらばらな道を行くよりよほどいい。 東日本大震災の「釜石の奇跡」を思い出してほしい。情報が錯綜(さくそう)する中でも、確かな情報を基に自分で判断する。自分の命を守るのは自分の責任。死んでから誰かに責任を取ってもらっても、何の意味もない。あの聡明な釜石の子どもたちに学ばなければならない。情報は生死を左右する。 もう一つ、災害時の原則は「自助、共助、公助」。このうち「自助」が基本だ。マスク、手洗い、咳(せき)エチケット、自分の身は自分で守る。お上がすべてやってくれると期待してはいけない。
◇クルーズ船で起きたことは「災害」
分からないことがある。私たちは沖縄で検疫を済ませ、終了したことを示す紙も受け取った。それが、何やら分からぬうちに「艦詰」が始まった。しかも、「艦詰」の根拠となる検疫法に関する政令改正は通常の方法ではなかったと聞く。想定していない事態なのだから、法の則(のり)を超えることも出てくるかもしれない。だが、それが感染を防ぎ人の命を救うなら、誰も異を唱えることはないだろう。 しかし、ちゃんとした説明は必要だ。この災難が収束を迎え、検証が行われた暁には、法的に不備があった点を修正することだ。その際には、災害対策基本法にも目を向けてほしい。感染症は「危機」に分類されるが、基本法に定める「災害」には該当しないという。助けを必要とする側にとって、クルーズ船で実際に起こっていることは「災害」であり、医学的専門知識以外の対応では自然災害の経験で得た防災のノウハウが生かされた。 今回、DMAT(災害派遣医療チーム)とともに災害出動した自衛隊の活躍が光った。自衛隊にとっては「細菌戦」を実践したまでなのかもしれないが、一人の感染者も出さずに任務を遂行したことは高い評価を与えられて当然だ。 もしあの時、沖縄の時のような簡単な検疫で乗客を下船させたら、日本全体が武漢や大邱のようになっていただろうし、もし、ダイヤモンド・プリンセス号が次のクルーズに出航していたら、その後船内でどんな悲惨なことが起こっていただろう。考えるとぞっとする。 あの時の「艦詰」の判断はやむを得なかったし、正しかった。しかし、乗員も船内の自室に待機させ、自衛隊が乗客乗員の生活支援を行っていれば、感染者数はもっと抑えられたのではないだろうか。災害時に役立つノウハウを持っている最大の「部隊」は内閣府防災担当だ。在宅避難の高齢者が何を欲しているか、医薬品はもとより紙おむつなど、日を追うごとに変化する被災者ニーズを一番理解している。 大黒埠頭(ふとう)に完全なグリーンゾーンとなるテント村をつくり、検疫、医学の範疇(はんちゅう)は厚労省、災害支援は内閣府、船内での実行部隊は自衛隊と、役割分担して英知を生かす。船員の協力は最小限に抑え、配膳や寝ずの番などもさせない。 そして、陸上の受け入れ施設を確保できた範囲において、高齢、病弱、内室(窓がない部屋)など乗客に順番をつけて下船させることだ。なし崩し的に始まった「艦詰」の中で、「下船させて隔離する」原則を徹底できなかったことが、事態の長期化につながった。やはり、省庁の縦割りが原因なのか。少なくとも、船内からは内閣官房、厚労省、内閣府、自衛隊などが一体で動いているとは思えなかった。 与党も野党も同じかもしれない。3月5日の日経新聞は予算委員会での新型コロナの質問の割合について、2月初旬の衆議院18.7%、3月初旬の参議院71.1%と報じた。新型コロナの質問は確かに増えているが、国会のやりとりを断片的に聞くしかなかった船の中では、野党はコロナより「桜を見る会」や「森友・加計問題」の方が重要なのかとやきもきし、「こんな時に国会を止めて何の役に立つのか」と無力感に襲われた。 与党も、野党が反発するような無用な挑発は避けるべきだ。政治休戦してでもコロナ対応に集中する時だ。与野党一体での対応など夢物語なのかもしれないが、これは国難なのだ。
◇正常性バイアスと想像力
「艦詰」を振り返って、自身の認識が変化したと感じる。クルーズ船の体験がなければ、おそらく私はコロナウイルスに対して今のような恐怖感を持っていない。娘が「マスク、マスク」と言うのを煩わしく思っていた香港。検疫当局も甘く見ていた沖縄の入国審査。横浜に到着しても危機感は薄く、予定通りの下船を疑わなかった。食事の際に手洗いを徹底するようになったのも、妻のうるさい「お小言」があったからで、感染防止の知識から手洗いを励行したわけではなかった。 NEPA(ネパール避難所・防災教育支援の会)から「ペットボトルの水を飲むな」と言われた時は、「そんなことができるのか」と思ったし、妻が「海に飛び込む」と引き止めなければ、韓国領事館から部屋を出ないようにと言われたにもかかわらず、写真を撮りにオープンデッキに行っていただろう。人の思考回路は「都合の悪いことは起らない。だから考えない」となりやすい。正常性バイアスだ。 その認識が決定的に変化したのは、あの日本人乗員あかねさんの涙だ。CDC(米疾病対策センター)が3月23日に「食事提供の乗員を介し感染が広がった」との報告書を出しているが、乗員は日々、感染の広がりを目の当たりにしていた。客室にいる私たちはテレビのニュースとネットからの情報(私には記者や国会議員などからの情報もあったが)を通じて船内の様子をうかがい知るのみだったが、直接目にしていた乗員が抱いた恐怖感は私たちの比ではないだろう。乗員はその中でも、日々不満を募らせていく乗客の要求に応えてくれたのだ。仕事に対する「誇り」は、一歩間違えば大きな犠牲を払うことにつながったかもしれない。 かなりの想像力を駆使しても、乗員の日々の苦労は理解できない。クルーズ船で行われたことは、まさに正常性バイアスの典型だったといえる。それが「健康カード」の配り忘れ、23人の検査漏れ、下船後の7人の新規感染者という結果を招いた。
◇最大の人権の保障は「死なせないこと」
悩んでいることがある。分からないのだ。 「人権」は難しい課題で、人権とは何かを問われても即答できない。あのクルーズ船を経験した私は今、最大の人権の保障は「健康でいられること」、もっと言えば「死なせないこと。生きていけること」ではないかと考えている。だから、最大の人権の蹂躙(じゅうりん)である戦争に反対してきたのだし、幸せに暮らすには、健康に生きていけることが前提だ。 私は何度も乗員の人権について訴えてきた。結果として、乗客の下船まで乗員の人権は顧みられなかった。私は阪神・淡路大震災当時の学校のことを思い出す。被災者でもある教職員が、被災した住民のケアをして疲弊していた。やむを得なかった面もある。学校のことを一番よく知っているのは、その学校の教職員だからだ。倒れる人も続出した。日教組も支援のため全国から組合員の教職員を被災地に送った。学校のことなら、よその学校の教職員でもだいたい分かる。今ではこの時の経験を生かし、学校を避難所にするノウハウが積み上げられてきている。 ひょっとしたら、今、ウイルスとの闘いの最前線にいる病院の医師や看護師らの医療従事者にも、同じことがいえるのかもしれない。過労で倒れる人が出ても、戦線を離れることができない。後方支援部隊も整っていない。 私は仁川検疫所で強制隔離・検疫を経験した。韓国でも最高レベルの厳格さを備えた施設なのだろう。韓国は北朝鮮との緊張関係もあり、細菌戦などを想定し、検疫に関する法整備は日本より数段厳しいという。また、SARS(重症急性呼吸器症候群)の被害も日本より大きかった。 本物の隔離を知ると、クルーズ船の「隔離」の危うさがよく見えてくる。乗員と対面しての食事や品物の受け渡し、危険物として扱われることのないごみの処理、感染の機会を増やすオープンデッキへの外出、タオル・シーツの交換、洗濯サービスの再開など、乗員と乗客の感染機会を増やすことが当たり前のように行われていた。それら日常業務に加え、乗客から乗員へのさまざまな要求は、感染の機会を飛躍的に増大させる危険性を伴うものだった。 もし、乗員がサービス、ケアを行わなかったら、乗客からは大ブーイングが起こっただろう。乗客が下船するまでサービスをやめることができなかったゆえんである。比較的感染リスクの低い客室で送ることができた生活は、乗員の犠牲の上に成り立っていたといえる。 災害時、緊急事態宣言下という状況で、果たして人権はどこまで制限されるのか、あるいは制限されるべきなのか。人権を制限しなかったら死ぬかもしれないことが予想される場合、その制限を躊躇することは人権の尊重になるのか。「自粛」「要請」と、責任の所在を曖昧にして(むしろ、曖昧にするため)、果たして「人の命を守る」対策の実効性を上げることができるのだろうか。 まだ私の頭の中では、さまざまな疑問が旅の続きのように彷徨(さまよ)っている。(了)
仁川空港を発(た)ち、関西国際空港に到着。46日ぶりにわが家に戻った。私たちの長い旅は終わった。 今も国内の感染者は増え続け、累計7万人を超える。クルーズ船の経験から何も学ばなかったのだろうか。「政府の対応」「正常性バイアス」「人権の保障」について思うところを述べておきたい。(元日教組情宣部長 防災士 平沢 保人)【時事通信社「厚生福祉」2020年9月29日号の連載「艦詰日記~ダイヤモンド・プリンセス号乗船から帰国まで」より】 ───────────────
【3月4日、隔離15日目】2週間ぶりに妻と対面
午前7時起床。部屋の施錠が解かれ、2週間ぶりに妻と対面する。同9時30分に1階ロビーに集合。私たちを除く5人は荷物を持って集まっていた。仁川検疫所の所長があいさつし、一人ひとりに保健福祉部長官名のPCR検査結果の「陰性」証明書を手渡した。日本でいえば、厚生労働大臣名の証明書になる。交付までに時間がかかるわけだ。仁川検疫所長名の書類も交付された。 その後、正面玄関で記念撮影。やはりうれしいものだ。私からは「下船から出入国、検疫と、韓国政府の人道的な特別の配慮に感謝。無事検疫を終えて、これで安心して孫を抱きあげることができる。私たちにとって、日本と韓国は両手の関係。両国は今、かつて経験したことのない困難に直面しているが、手を携え一日も早くコロナの克服を。日韓両国の皆さん、クルーズ船の乗員をはじめ、尽力いただいた全員に感謝する」と伝えた。 ここからが忙しい。部屋に戻って、急いで荷造りして最後のごみ出し。丁寧に消毒した。2週間、毎日やれば手慣れたものだ。テレビを見ると、この日の午前10時24分時点の韓国の感染者数は5328人、完治41人、検査総数13万6707人。後に感染者数は万の単位にまで増える。この2週間で状況は劇的に変わった。 午前10時30分に再び1階のロビーに下り、仁川空港へ出発した。施設は空港に隣接しているので、10分ほどで到着した。人のいない、がらんとした空港。今度は搭乗手続きなど何もかもが早かった。すでに自動で体温を測る機器も導入され、熱があると手荷物チェックを受けられなくなっていた。 午後2時10分、飛行機は定刻に出発。乗客はまばらだ。検疫の書類が配られた。設問の渡航先に「中国湖北省」のほか「韓国大邱広域市」などが追加されていたが、基本的に沖縄やクルーズ船内で配られたものと同じだった。 関西国際空港に到着すると、韓国からの到着便は他のフライトと動線が分けられていた。検疫官から水色のA6判の紙を手渡された。何も書かれていないので、これは何かと問うと、税関のところで渡せと言われた。これが検疫通過の書類だという。私たちは、沖縄で印鑑の押された検疫通過の書類をもらっても、何の断りもなく横浜で取り消されたのだから、こんないい加減な検疫でいいのかと検疫官に不満をぶつけた。日本は検疫を甘く見ているのではないかと、怒りに似た感情が湧いてきた。 家に着いた。46日ぶりのわが家だ。何から手を付けていいのか分からなかった。 夜遅く、帰国報告として関係者にメールを送った。「この間、大変ご心配をおかけした。感染の可能性があるということで、クルーズ船内で2月3日から強制隔離、検疫が行われ、長い過程を経て、3月4日に韓国保健福祉部長官名の『陰性』である旨の書類を受領し同日夜、帰阪した。在韓国日本大使館、外務省を経て、厚労省から4日午後10時ごろ連絡があり、必要な強制隔離、検疫も経ており、自宅待機、健康観察などの期間も終了している、保健福祉部長官名の書類をもって通常通りの生活を送ってよいとのことだった。大阪市生野区とも連絡を取り、今後、必要があれば保健所から連絡をもらうことになっている。長い間心配、負担をかけたこと、心苦しく思っている」。こんな簡単な内容でいいはずはないが、疲労困憊(こんぱい)していた。私たちの長い旅が終わった。
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