「こんばんは」、「はい、こんばんは。今日は早いね」――。廊下ですれ違いざまに先生と挨拶を交わす生徒たちは制服を着ていない。年齢や国籍もまちまちで、ハーフパンツにTシャツの少年もいれば、老眼鏡をかけている白髪まじりの女性もいる。いかにも仕事帰り風の青年の姿もある。一見、何の共通点もなさそうな彼らはみな、れっきとした“中学生”だ。 【写真】ストライプのボタンダウンシャツ、髪はピタっと固めた前川喜平氏
ここは東京・葛飾区の双葉中学校夜間学級。さまざまな理由から中学に通うことができなかった人を受け入れて、授業を行う夜の中学校だ。
教室では、始業前から机に向かい、教科書やプリントを開いて黙々と自習する生徒が多いことに気づく。
「明日から期末テストということもありますが、進学目的の生徒や、昼に仕事がない生徒は早くから学校に来て勉強していることが多いですね。学校も16時から補習の時間を作って、各教科の先生が日替わりで生徒の勉強を見ています。『家にいるとゲームをしちゃうから』と言って、14時頃登校する生徒もいます」(同校の副校長・森橋利和さん)
17時30分、始業を告げるチャイムが鳴ると、「起立、礼」と日直が号令を出して授業が始まった。
教室では6人の生徒が“てにをは”に注意しながら、日本語の例文を読み上げる。
「お昼ご飯“は”どこで食べますか」 「食堂“で”食べます」
現在、15才から66才まで33人の生徒が在籍し、うち28人は外国籍もしくは外国にルーツがある生徒だ。
「クラスはAからHまで8つに分かれていて、国数理社など9教科を勉強する通常学級が4クラス、日本語学級が4クラスで、クラス分けは学年ごとではなく、学力に応じて編成します。昼間の学校と違って3年通う必要はなく、1年で卒業する生徒もいますし、3年よりも長く通う生徒もいます」(森橋さん)
小さな椅子に座って黒板を見つめる背中からは、一様に強い意志を持って授業に臨んでいることが伝わってくる。彼らは何を求めて夜間中学に通っているのだろうか。
貧しさを乗り越え、生き抜く力をつけるための場所だった
夜間中学の歴史は古い。敗戦後すぐ、1947年に制定された学校教育法によって義務教育が6年から9年に延長されて、新制中学校がスタートした頃、夜間中学も産声をあげた。
元文部科学事務次官の前川喜平さんが指摘する。
「1947年に新制中学校が始まったものの、実際は経済的な事情で昼間働く必要があり、中学校に通えない子供が相当数いました。そうした子供を救うため現場の教師が自発的に働きかけたのが、夜間中学の始まり。いわば、草の根から生まれた学びの場なのです」
戦後の貧しい時期、夜間中学は生活のために働く子供たちの受け皿となり、全国的に展開された。最盛期の1955年頃には、全国で89校、5200人の夜間中学生がいたという。
「私が夜間中学の教師になった頃、生徒のほとんどは貧しくて昼間の学校に通えない子供たちでした」
そう振り返るのは、1961年から42年間にわたって夜間中学で教鞭をとった見城慶和さん(82才)。夜間中学を舞台にした山田洋次監督の映画『学校』(1993年)のモデルとなった「伝説の夜学教師」である。
「当時の夜間中学は、働く子供のための救急学校のような感じ。貧しさを乗り越え、生き抜く力をつけさせることが教育の第一目標でした。だから教えていた内容も、働いている職場の名前や住所を書けるように練習するなど生活や仕事に根ざしたものでした」(見城さん)
高度経済成長期に入ると、経済的な理由で学校に行けない子供が減少し、夜間中学の規模も徐々に縮小していった。
「その頃から、夜間中学は主に学齢期を超えた大人たちの学びの場になりました。在日コリアンなど、差別や貧困のため義務教育を終えられなかった人々が、『夜間中学で勉強したい』と声をあげ、1970年頃から関西地方を中心に夜間中学が新設されました。それに合わせて、教える内容も中学校教育だけでなく、片仮名や平仮名など識字をはじめとした基礎教育全般に広がっていった」(前川さん)
1965年の日韓基本条約締結や1972年の日中国交正常化で韓国や旧満州から帰国した引揚者が、学び直す場としても夜間中学は機能した。
1980年代以降は不登校が社会問題となり、さまざまな理由で学校に行けない子供らも夜間中学で学ぶようになった。
そして現在は、冒頭で紹介した双葉中の夜間学級のように、外国にルーツを持つ「ニューカマー」が生徒の大半を占めるようになった。いまは全国34校の公立中学校の夜間学級に学ぶ約1700人のうち、およそ7割は中国、韓国、フィリピン出身で、ベトナムやネパール出身も増えている。
両親の都合や仕事を求めてなど理由はそれぞれだが、最近は新型コロナウイルスの影響で入学する人もいる。
そのひとりがインド人の母と日本人の父を持ち、親元を離れて10才からインドの学校に進学した村上アーミルさん(仮名・17才)。春休みに日本に帰国中に新型コロナの感染拡大でインドがロックダウンに踏み切り、戻ることができなくなったため、6月から双葉中に通い始めた。
「インドにはいつ帰れるかわからないし、来年もどうなるかわからない。インドの学校も楽しいけれど、いずれは日本で働きたかったので、夜間中学で勉強を教えてもらっています。日本の高校に進学したい」(アーミルさん)
敗戦後の貧困から新型コロナまで、夜間中学が受け入れてきたのは常に、変様する日本社会の中で弱い立場にならざるを得ない人たちだった。
※女性セブン2020年8月13日号
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