Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/db879d65b1435be5ec4d61929b15a83e136a5dea
〈こんにちは、とつぜんのおてがみに(ママ)しつれいいたします〉 そんなたどたどしい日本語の手紙が編集部に届いたのは、8月上旬のことだった。差出人は、’19年に「銚子マリーナ中国人女性殺害事件」を起こしたとされる、ネパール国籍のギリ・ニラジ・ラジ被告(35)だった。 【画像】獄中から来た手紙 「千葉・銚子マリーナのプレジャーボート内から女性の全裸遺体が発見されたのは、’19年9月のことでした。女性は中国籍の王小莉(ワンシャオリー)さん(当時34)。遺体には複数の刺し傷があり、死亡したのは’15年7~8月頃と判明しました。そのボートの名義がギリ被告の親族だったことから、彼の関与が発覚。同年10月に殺人などの容疑で逮捕されました」(全国紙記者) そして昨年、千葉地裁で公判が開かれ、12月末に懲役18年の有罪判決が下った。 しかし、ギリ被告は手紙で「彼女の遺体は遺棄したが、殺害はしていない」という旨を記している。本誌記者は小菅の東京拘置所を訪れ、ギリ被告と面会した。 ギリ被告は千葉県内の食品工場で働いていたことがあり、そこで王さんと出会った。一時、二人は交際していたが、王さんが実は中国に家族がいることがわかり、破局したという。ただ、’15年の始め頃、王さんが住居を探す間に二人はしばらく同居していた。ギリ被告が振り返る。 「’15年の7月下旬から8月上旬のある朝、起きると王さんがいませんでした。不思議に思って、物置部屋をのぞくと、中で王さんが鼻血を出して倒れていました。すでに脈もなく、死んでいることがわかりました。私はパニックになり、警察などに電話をすることもできず、その場から逃げ出してしまったのです」 1~2日後に自宅に戻ったギリ被告は、遺体をどうにかしなければと思い、一時は刃物で解体しようと考えた。その際の切り傷が、逮捕後、王さんを殺害したときに刺した傷ではないかと指摘されたという。 なぜ、遺体を放置したり、解体を試みたりといった行為に及んだのか。 「今でも、あのときすぐに警察に電話をすればよかったと反省しています。ただ、警察が私の話をきちんと聞いてくれるのか、不安がありました。ゴビンダさん(ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏。ネパール国籍で、’97年に起きた東電OL事件の冤罪被害者)みたいに、何もやっていなくても犯人にされるんじゃないかと思ったのです」(ギリ被告) そうしてギリ被告は遺体をボートまで運び、中に隠していたのだ。 事件発生から遺体発見まで4年以上が経っていたこともあり、凶器などの物証もない。それでもギリ被告が有罪になったのは、「証言の変遷」だという。当初、ギリ被告は警察の取り調べに対し、「口論の末に、王さんを突き飛ばしたら動かなくなった」と供述。それが裁判では「朝起きたら亡くなっていた」と証言したのだ。その核心部分の証言に変遷があったことが主な理由となり、有罪判決を受けた。ギリ被告が語る。 「最初に警察の取り調べを受けたとき、何人もの警察官に囲まれて『こうだろう』『こうじゃないか』と問い詰められました。私が怖くなり『そうです』と答えたことで、私が『王さんを突き飛ばした』と供述したことになってしまったのです」 元東京地検公安部検事で、弁護士の落合洋司氏が語る。 「供述の変遷があったからといって有罪とするのは、疑問が残る認定です。供述証拠の評価として、合理的とは言えないでしょう。そこが控訴審でどう判断されるか。注目すべき公判になると思います」 控訴審は9月28日から開かれる。 「FRIDAY」2021年9月10日号より
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