Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/0f96db24b87be263683240cfc3477203cb502391
近年、日本でネパール系の不良グループが立て続けに事件を起こしたことで、その存在が知られるようになった。 【画像】25歳男性を食事を与えず殺害…55歳女性「衝撃の自撮り」写真 犯罪集団でありながら、「東京ブラザーズ」「ロイヤル蒲田ボーイズ」など、日本人の感覚からすれば滑稽に感じられるネーミングが気にかかって覚えている人もいるだろう。 日本には、在日外国人で構成されるギャンググループが複数ある。中国系のグループ、日系ブラジル人のグループ、ベトナム人など東南アジア系のグループなどだ。ネパール系のギャングのメンバーによれば、外国人ギャングの誕生の背景は、国によって違いがあるという。そして、ネパール系ギャングのそれは、日系ブラジル人グループと似ているそうだ。 外国人ギャングはどのように誕生するのか。ネパール系ギャングに光を当て、それを考えてみたい。 ◆ネパール人が日本に大量流入した理由 インドと中国に挟まれたヒマラヤの小国ネパール。日本でネパール人が増えはじめたのは1980年代以降だった。 当時、同じアジアから日本にやってきていた外国人として、パキスタン人、バングラデシュ人、イラン人などがいた。彼らは主に観光ビザでやってきて不法滞在し、建設業などで働いていた。 一方、ネパール人の来日の経緯は異なった。当時の日本ではインド料理店が急増していた。店のオーナーは金持ちのインド人だったが、人件費の安いネパール人を従業員として連れてくることが多かった。インド人にとって、同じヒンドゥ教で、言葉も通じやすいネパール人は扱いやすかったのだろう。 このため、ネパール人は、先述のパキスタン人らと異なり、労働のために必要なビザを取得し、合法的に日本に定住して働いていた。パキスタン人らが数年働いて帰国することを前提としていたのに対し、ネパール人は定住を前提として来日していたのだ。 バブルが崩壊し、日本が「失われた20年」と呼ばれる不景気の時代に突入すると、パキスタン人などの不法滞在者たちはたちまち職にあぶれ、帰国するか、逮捕されて強制送還された。 他方、ネパール人たちは就労ビザを持っているので日本で働きつづけ、ある程度お金がたまれば、母国に残してきた妻子を呼び寄せた。正規の在留資格を持つ外国人は、配偶者や子供を家族滞在ビザで連れてくることができるのだ。 しかし、問題がないわけではなかった。こうして日本にやってきたネパール人の子供たちが、日本社会からはじき出されることがあったのだ。 その実例として、ネパール系ギャングのメンバーの人生を紹介したい。現在、入管から仮放免を受けている最中なので、本記事では通称の「ダイ(先輩、年長者を示す)」と呼ぶことにしたい。 ダイは来日の経緯を次のように語る。 「茨城のレストランで、お父さんが五年くらい働いていた。俺が11歳の時、お父さんに呼ばれて、お母さんと妹と日本に来た。でも、日本の学校はダメ。俺、日本語わからなくて、友達からも『顔、黒い』『カレーのにおいがする』と言われて毎日いじめられた。それでケンカして、先生に呼び出され、学校辞めることになったヨ」 ネパール人が11歳で来日しても、言葉の面や学習の面で学校に溶け込むのが容易ではない。地方都市ともなれば、肌の色が異なるとか、民族衣装を着ているといったことがいじめの口実になることもあるだろう。 ダイは、転校して3ヵ月は学校でのいじめに耐えていた。だが、毎日のように繰り返される陰湿な暴力に耐えかね、相手の同級生を椅子で殴りつけて怪我をさせた。 教師は、そんなダイと親を呼び出し、「勉強もせず、同級生に暴力をふるうだけなら、学校へ来るな」と怒った。家族は日本語が不得意だったことから、弁明することも、言い返すこともできず、涙を流して帰宅した。 ダイはそのまま学校に行かなくなり、不就学になった(外国人は義務教育ではないので辞めることができる)。ダイは2年ほど家でひきこもりをした後、東京のインド料理店で住み込みで働きだした。日本語が苦手で、小学校も卒業していない彼には、日本の企業で働くことは不可能だった。 ダイは言う。 「店はインド人がオーナーで、東京に三店あった。寮はアパートで、そこに七人くらい住んでいた。昼から夜まで働いて、零時過ぎに帰ってきて眠る生活。休日は正月だけ。給料は6万円(寮費、食費含む)だった」 ◆カレーのにおいで猛烈抗議 店でも寮でも、インド系従業員が大きな顔をしており、ネパール系従業員の立場は弱かったそうだ。インド系従業員から暴力をふるわれることもあった。 店は歓楽街にあったため、暴力団や半グレといった客も多く、「店のネオンや国旗が邪魔だ」などと言いがかりをつけられて金を要求されるなどトラブルも多かった。 ある日、店に2軒隣のキャバクラの店長がやってきた。彼はカレーのにおいがキャバクラの営業妨害だとして毎月5万円を払うよう求めてきた。インド人オーナーが拒絶したところ、翌日店の窓ガラスをすべて割られた。 オーナーが頼ったのが、ネパール人の不良グループだった。日本社会に溶け込めずに徒党を組んでいるネパール人グループがいたのだ。彼らは依頼を受けると、そのキャバクラの店長を待ち伏せして襲うことで報復した。それ以降、店長が言いがかりをつけてくることはなくなった。 ダイはそれを見て、不良グループに憧れを抱いた。日本社会に対する不満を持っていた彼にとって、正義の味方のように映ったのだろう。その後、ダイはグループに接触し、メンバーとなる。 グループのシノギは次のようなものだった。 1、盗品の転売 2、マリファナの密売 3、トラブル解決 1から順に見ていきたい。メンバーはSNSで在日ネパール人と幅広いコミュニティーを形成している。彼らは商店から品物を盗み、それをSNS経由で転売して金を稼ぐ。 SNSで売っているのは、パソコン、食品、衣服などが主だが、意外に医薬品の売れ行きがいいそうだ。外国人は病院へ行かなかったり、薬を高いと感じたりするので、同郷の人間からSNSで安く買おうとする傾向があるという。 2については、ネパール人と日本人とは感覚の差もあるという。ネパールでは大麻は祭りで修行僧が使用していたり、山に自生していたりと、日本人と比べて身近なものだ。そのため、ネパール人の間ではマリファナの人気が高く、ダイのような売る側も「覚醒剤に比べればずっといい」という認識があるらしい。 3は、ネパール系やインド系の飲食店や雑貨店で起こるトラブルを解決することで用心棒代をもらうものだ。先にダイの店の例を紹介したが、言いがかりをつけてくる相手は必ずしも反社会組織というわけではなく、商店街の差別主義の日本人からヘイトとして嫌がらせを受けることもしばしばらしい。ギャングは、トラブル解決に力を貸すことで謝礼を受け取っているそうだ。 ダイの言葉である。 「今、日本にはネパール人がすごく多い。新宿、蒲田、池袋、それぞれ(ギャング)グループがある。グループが町のネパール人を守ってる」 日本の外国人労働者の中で、ネパール人は中国人、ベトナム人、フィリピン人、ブラジル人に次いで五番目に多い。そして彼らの多くは、日本の企業で働くというより、飲食店などで働いており、自分の身は自分で守らなければならない立場にある。 そんなネパール人にとって、日本の警察は決して頼りがいのあるものではない。トラブルに巻き込まれて警察に通報したとしても、逆に不利なように動いてしまうことも少なくない。だからこそ、彼らはネパール人のギャンググループに頼るのだ。 ◆なんとしてでも日本で…… こう考えると、ネパール人ギャングは、在日ネパール人たちの需要をうまく取り込んで生存しているといえる。 では、なぜ、冒頭で述べたようにネパール人ギャングは、日系ブラジル人ギャングのそれと似ているのか。 ダイによれば、ネパール人も日系ブラジル人も、家族単位で来日していることが共通点だそうだ。 フィリピン人やインドネシア人は、技能実習生に代表されるように、単身で来日することがほとんどだ。日本に滞在する年数が決まっており、その間に稼いで母国へ帰っていく。 しかし、日系ブラジル人は家族全員がビザを取得できるので、家族単位で日本にやってくる。両親は多くの外国人が働く企業で働くことができるが、子供たちは一人で日本の学校でやっていかなければならない。 子供たちの中にはすぐに日本語を覚えて溶け込む子がいる一方、性格や能力の問題でうまくいかない子も出てくる。日本語の壁、文化の衝突、差別、そしていじめ。そうした子供たちは、ダイのように日本の教育システムからこぼれ落ち、貧困から児童労働などに絡めとられ、そのまま非行や犯罪に走ることがある。 日本人の中には、「日本で犯罪をするなら国に帰れ」という人もいるだろう。だが、彼らは幼い頃に日本に家族単位でやってきているので、母国とつながりがなくなっている。家族もいなければ、友達もいない。母国語を忘れてしまっていることさえある。 だから、彼らはなんとしてでも日本で生きていこうとする。そうした一部が徒党を組み、ギャングをつくるのだ。 ダイは言う。 「外人ギャングが逮捕されたら、本当はビザなくなる。でも、問題ない。子供の頃に日本に来ていれば、ビザがなくなっても、仮放免がでる。だから国に帰らなくていい。日本にいられる」 刑務所を出所すると、そのまま入管に収容され、ビザを取り消されるのが普通だ。だが、すでに見たように、子供時代に来日した外国人たちは母国につてがないばかりか、日本に妻子がいたりするので、強制送還させるわけにいかない。そこで、仮放免という形で日本滞在が認められるのだ。 実は、刑務所を出た後に収容される入管が、外国人ギャングたちの温床となっている現実もある。入管でいろんな国の外国人ギャングたちが知り合い、交友を温め、出た後に手を組むことも珍しくない。それがさらなる犯罪を生み出す。 ダイは言う。 「強制送還で国に帰されたメンバーもいる。でも、みんな日本で生きてきたから、国に帰っても日本人を相手にしたビジネスをする。日本語をしゃべれるから、その国で日本人向けの詐欺をするとか、日本にドラッグを送るとか」 そう、強制送還は必ずしも問題解にはならないのだ。 こう見ていくと、幼い頃に来日した外国人たちを、きちんと社会で受け入れることの重要性がわかるのではないだろうか。 ダイも含めて、来日したばかりの子供はハンディーを抱えながらも、日本でがんばって生きていこうとしている。必死になって日本社会に溶け込みたいと願っている。 そうした純粋な気持ちを、私たちはどう受け取るべきなのか。 彼らに支援をすることで共生の道をつくっていくのか。それとも差別やいじめによってはじき出し、ダイのような人生を歩ませるのか。外国籍の子供たちの未来について、社会が一丸となって考えることがこれまで以上に必要になっている。 取材・文:石井光太 77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『浮浪児1945-』などがある。
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