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太平洋や大西洋に比べ、インド洋は一般に馴染みの薄い海かもしれません。一方、それだけに、インド洋には、アラビアンナイトから連想されるようなエキゾチックな魅力があり、なにかふしぎなことがたくさん隠れているのでは? ……と、好奇心をくすぐられる方も多いのではないでしょうか? まさにそのとおり、インド洋は、知れば知るほど面白い海なのです! 【写真】日本の気候を支配する謎の大海「インド洋」の知られざる姿 本稿では好評発売中の『インド洋 日本の気候を支配する謎の大海』から、知られざるインド洋の魅力をご紹介します。
インド洋の誕生前夜
インド洋の歴史を遡っていくと、地球上にかつて存在した巨大な大陸が、バラバラに分裂して現在にいたる一部始終が見えてきます。ダイナミックな地球の演じてきた、じつに興味深いドラマです。 前編で、中央海嶺という海底の裂け目でつくられた新しい海底(プレート)が、拡大軸の両側に拡がっていくという、プレートテクトニクスの基本概念をお話ししました。大陸がいくつかの陸地に分裂し、移動していくのは、この拡大する海底の上に陸地が乗っているからです。 動く歩道の上に乗っている状態を想像してください。プレートが、動く歩道です。その上に乗った陸地が、プレートと一緒に動いていくわけです。 図1–5は、過去2億5000万年にわたって、当初は一つにまとまっていた世界の陸地が、プレート運動によってどう分裂し、かたちを変えてきたか、おおまかに復元したものです。 いまから2億5000万年前頃(図1–5a)は、古生代二畳紀(別名ペルム紀)という時代で、地球上には「パンゲア」とよばれる一つの巨大な大陸しかありませんでした。陸上には、裸子植物が繁茂し、海から陸への上陸に成功した両生類や、まだ原始的な爬虫類などが生息していた頃のことです。 インド洋はまだ、生まれていません。海といえば、広大なパンサラッサ海(あるいは古太平洋)一つだけです。なお、図1–5aのほぼ中央、西向きにくさびを打ち込んだような形状の海を、特に「テーチス海」と区別してよぶことがあります。中生代三畳紀になると(図1–5b)、地球深部からマグマが上昇し、パンゲアが割れはじめます。あちこちに入った亀裂がしだいに拡がっていきました。亀裂はやがて拡大軸(中央海嶺)となり、大陸が分裂して離ればなれになっていきます。
インド洋の誕生
中生代もジュラ紀(図1–5c)から白亜紀(図1–5d)へと時代が下るにつれて、陸地の形状は現在のものに近づいていきます。その過程で、とりわけ目を奪われるのが、インド大陸(「インド亜大陸」とよぶこともある)の動きです。 パンゲアの一部だった頃(図1–5a)のインド大陸は、現在の南極大陸・アフリカ大陸・オーストラリア大陸と隣接し、現在の位置とはまるでかけ離れた南半球にありました。それが、パンゲアの分裂とともに、じわじわと北上を開始します。同時に、南極大陸・アフリカ大陸・オーストラリア大陸も、互いに別々の方向へと離散していきます。 インド洋誕生の時がきました。じつは、「インド洋」という呼称が、どの時代から地図上に記載されるべきか、明確には決まっていないようなのですが、ここでは、これらの四つの大陸(インド大陸・南極大陸・アフリカ大陸・オーストラリア大陸)によって囲まれた海のことを、インド洋とよぼうと思います。 つまりインド洋は、時代とともに拡がっていきます。図1–5c~eを順に見ていくと一目瞭然ですね。あたかも露払いのごとく、北へ北へと真っ先に移動していくインド大陸と、その後ろ側で膨張していくインド洋――。高村光太郎の詩「道程」に倣(なら)えば、「僕の前にインド洋はない/僕の後ろにインド洋は出来る」といったところでしょうか? (怒られそうですが) インド大陸の道程は、過去2億年でほぼ1万キロメートルに達しました。移動速度が特に大きかったのは、図1–5dの中生代白亜紀で、16cm/年に達したと推定されています。 なぜこれほどの“高速”移動が可能であったのか? それは、インド大陸を乗せたプレートの動きが、この時代にとりわけ高速であった、すなわち、プレートを生み出す中央海嶺での火成活動がごく活発だったためと考えられます。 大陸が海を渡っていくなどにわかには信じられない話ですが、インド大陸が南半球からいまある地へとはるばる移動したことは、古地磁気学的な手法によって確かめられています。その手法とは、噴出年代の明らかな古い火山岩に記録されている当時の地球磁場の向きを調べることによって、その火山岩が固結したときの緯度を復元するというものです(詳細は、拙著『太平洋 その深層で起こっていること』(講談社ブルーバックス)の136~139ページをご参照ください)。 インド大陸で採取された火山岩を時代ごとに分析し、その噴出緯度をたどっていくことによって、図1–5に示したようなインド大陸の北上する軌跡が復元されたというわけです。かつての地球の姿をよみがえらせ、インド洋誕生の経緯を詳細に見せてくれる地球科学的手法の進歩には驚かされるばかりです。
ヒマラヤはなぜ隆起したか?
ところで、みなさんは、“世界の屋根”とよばれるヒマラヤがなぜ、あんなにも標高が高いのか(エベレストの8848メートルは地球の最高峰)知っていますか? クイズ番組などでもよく取り上げられる問題なので、解答をご存じの方も多いかもしれません。 ご名答! ヒマラヤを隆起させたのは、インド大陸の衝突です。 先ほど、インド大陸が南半球から北半球へ「駆け抜けた」話をしましたが、その終着点で、どっしりと待ちかまえていたのがユーラシア大陸でした。両者は当然、正面衝突します。――いまから数千万年前のことです。 北上するインドプレートはインド大陸の衝突後も動きを止めることなく、引き続きユーラシアプレートの下側へと沈み込んでいきます。しかし、図体の大きいインド大陸のほうは、そうはいきません。いきおい、ユーラシア大陸をぐいぐい押しつづけることになります。 その結果、両大陸に挟まれた堆積物や岩石が、行き場を失って上へ上へと押し上げられたのです。それが、現在のヒマラヤからチベット高原へと続く高山帯となり、エベレストなどの標高8000メートルを超える山々が林立することになりました。そのイメージを模式的に示したのが図1–6a、bです。 ヒマラヤの頂上からは、なんと貝の化石が見つかっています。隆起する前のヒマラヤ頂上付近が、かつては浅い海辺だったことを物語る事実です。インドプレートはいまなお北進を続けていますから、ヒマラヤの標高は今後、さらに高まっていくことでしょう。 ところで、日本列島がまさにそうであるように、プレートとプレートが擦れ合う場所では、地震が頻発します。プレートどうしが水平方向に及ぼす力によって地殻内にひずみが溜まり、それが限界に達すると岩石が大規模に破壊され、大地震をもたらすのです。 図1–6cに、インド北部やアフガニスタンから中国南部にかけて、今世紀に発生した代表的な地震の震源域を示しました(データは『理科年表』による)。マグニチュード7を超えるような大規模地震が、数年に1回程度の頻度で発生し、そのつど、犠牲者が数千~数万人に及ぶという痛ましいニュースが伝わってきます。 2015年にカトマンズ近郊で発生したマグニチュード7.8のネパール大地震は、ネパールのみならず、インド、中国、バングラデシュに大きな被害をもたらしました。死者が8500名以上、負傷者1万5000名以上に達したといわれます。
真北を指す細長い槍――唯一無二の直線地形
過去2億年にわたって、インド洋で繰り広げられた壮大な大陸移動の歴史を概観してきました。この歴史をふまえたうえで、記事の前編でいったん保留にした、東経90度海嶺の話に戻ることにしましょう。 インド大陸が、南極大陸やオーストラリア大陸から少しずつ離れはじめた約2億年前(図1–5b、c参照)、インド大陸とオーストラリア大陸とのあいだには、両者を引き離していく海底拡大軸がありました。その近傍に、たまたまホットスポットが生じたのです。そこでは大規模な噴火活動が続き、次々と海底火山や火山島を生み出していきました。 ホットスポットとは、マントルの最深部からマグマが上昇してくる、単独の火山活動です。このとき、インド大陸とオーストラリア大陸とのあいだで海底拡大軸の近くに生じたホットスポットは、ちょうど現在のハワイ島のような存在だったのでしょう。 このホットスポットから生み出された火山体は、インドプレートにくっついて北へとずれていき、やがてホットスポット源から切り離されます。するとマグマの供給は途絶え、冷えた火山体は海山となって、そのままインドプレートに乗って北上を続けます。 これが繰り返されることによって、海山群の列が北へ北へと延びていきました。インドプレートが、ほぼまっすぐに北上した結果、まるで槍のように直線をなす海山列(海嶺)が形成されたというわけです。 本当かな? ……と、疑問を感じた人のために、海嶺から岩石を採取して調べた研究をご紹介しましょう。1980年代に実施された深海掘削で、東経90度海嶺の火山岩があちこちで採取され、それら岩石の年齢が以下のような放射化学的手法によって測定されました。 溶岩が固結すると、岩石に含まれる放射性カリウム(⁴⁰K)の崩壊によって生じるアルゴンガス(⁴⁰Ar)が岩石内部に溜まっていきます。その蓄積量を調べることによって、岩石の年齢が推定できるのです(「カリウム–アルゴン法」といいます)。 得られた結果を図1–7にまとめました。図中の数字は、火山岩の年齢(いまから何年前にマグマが固結したか)を示しています。 一目瞭然ですね。南から北に向かうにつれて、火山の年齢が順々に古くなっていくことがわかります。つまり、東経90度海嶺は、インド大陸がインド洋を北向きに移動していった事実の生き証人として、長々と尾を引くその移動の航跡を、ぼくたちに見せてくれる存在なのです。 拙著『太平洋 その深層で起こっていること』のなかで、ハワイ島のホットスポットから生み出された、ハワイ・天皇海山群の長い軌跡を取り上げましたが、原理的にそれと同じ現象が、ほぼ同じ時期にインド洋でも起こっていたのです。ハワイ・天皇海山群は太平洋プレートが、一方の東経90度海嶺はインドプレートが、それぞれつくり出した見事な海底造形というわけです。 ところで、ハワイ島のホットスポットでは、現在も活発に火山が生み出されているので、現代から過去へと連続して海底火山の歴史をたどることができますが、東経90度海嶺の場合は、約3800万年前で途切れています(図1–7)。 その後はどうなったのでしょうか? 東経90度海嶺の起点となったホットスポットは、どこに行ってしまったのでしょうか? このホットスポットの名残は、図1–7に示したケルゲレン諸島であると考えられています。約3800万年前までは、ケルゲレン諸島を乗せたケルゲレン海台(大洋底にある台地状の地形を「海台」とよびます)はもっと北方にあり、ブロークン海嶺と一体になった巨大な海台でした。そして、そこからホットスポット火山が次々に形成され、東経90度海嶺を北へ北へと延ばしていきました。 ところが、3800万年前頃から、火山活動の様相が変化したらしいのです。詳細に説明するのは難しいのですが、ケルゲレンホットスポット(ケルゲレン海台)が南東インド洋海嶺拡大軸の南側に位置するようになり、ブロークン海嶺から引き離されるとともにホットスポットとしての活動も低下させ、図1–7に破線で示したように南下していったと考えられています。 それにしても、長さ5500キロメートルにも及ぶ、東経90度海嶺の驚くべき直線性! 地球上で自然に形成された、最も長い直線地形だと称する人もいます。他に海洋の直線地形といえば、太平洋にある天皇海山群やハワイ海山群が思い浮かびますが、それらの長さをざっと見積もってみると、それぞれ2000キロメートルおよび3400キロメートルです。インド洋を貫く一本槍=東経90度海嶺には、はるかに及びません。 また、海溝のなかでは西太平洋のトンガ・ケルマデック海溝がよい直線を示していますが、長さは2400キロメートルほどと、東経90度海嶺の半分にもいたらないのです。
蒲生 俊敬(東京大学名誉教授)
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