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写真家・寺本雅彦さんの作品展「命は循環し、魂は巡礼する」が12月16日から東京・新宿のオリンパスギャラリー東京で開催される。寺本さんに聞いた。 【寺本雅彦さんの作品はこちら】
* * * 長年、宗教をテーマに写してきた寺本さん。今回の写真展は「お肉」をめぐる物語。 その中心となる写真はバングラデシュの首都ダッカで撮影したイスラム教の祝祭「イード」だ。 寺本さんが初めてイードを目にしたのは20年ほど前。それはまったくの偶然だった。 「当時、バックパッカーの旅をしていたんです。大学を卒業後、広い世界を見てやろう、みたいな。まあ、よくある話なんですけれど。それで、タイからネパールに行く途中、一晩、ダッカに立ち寄った」 ダッカの空港はうんざりするほど非効率で、バスでトランジットホテルへ向かったときはすでに夕方だった。 「乗り込んだエアポートバスは日本で使い古された幼稚園バスだった。薄暗いなか、目に飛び込んできた車窓の光景が強烈でしたね。動物の首がごろごろ転がっている。もう街中が家畜の解体現場だった。こりゃ、いったい何なんだ? とひたすらびっくりしていました。バスのウインカーが出るたびに『右に曲がります』って、アナウンスが聞こえたのをよく覚えています。シュールな光景でした」 イードは「犠牲祭」とも呼ばれ、慣例行事として金銭的に恵まれている人が家畜を提供し、その肉や料理を周囲の人々と分け合う。そのことを寺本さんが知ったのは後のことだ。 ■「ずっとモヤモヤしていた」 寺本さんはダッカで目にした光景について知った後も「ずっとモヤモヤしていた」と言う。それが再び、この地を訪れ、イードを撮影する動機となった。 寺本さんは、その「モヤモヤ」について話し始めた。 「いま、ぼくは飲食店を経営しているんです。まあ、カレー屋みたいなものなんですけれど。それで日々、キロ単位でお肉を買ってくる」 肉はスーパーなどで販売されているものと同様、調理しやすいように必要な部位が真空パックされている。 「それをさばくわけですが、よほど優しい人じゃないと、『動物の命をいただきます。ありがとうございます』という気持ちにはならないじゃないですか。ぼくもそうでした。でもイードのことを思い出すと、やっぱりモヤモヤした気持ちが消えなかった。それで、イードって、何だったんだろう、と思ったんです。長い時間が空いたけれど、また行ってみたくなった」
■その日「ぼくがいちばんビビッていた」 再び、ダッカを訪れたのは2018年夏。 近年、食肉処理の現場では動物福祉や愛護の動きが世界的な潮流となっている。 「もう、時代が変わり、昔のような光景は見られないかもしれない、と思って、ちょっとドキドキして行ったんです」 しかし、その心配は杞憂だった。ダッカの街に入ると、そこかしこに「自転車を止めるみたいな感じで」、牛が道端につながれていた。 「家畜が川船やトラックに載せられて、どんどん街に入ってきた。船なんか、もう家畜で沈みそうなくらい。運ばれてきた牛で、高速道路の下や河川敷はぎっしりだった」 街のあちこちに市が開かれ、家畜が売られていく。 購入した家畜は家の前や駐車場などにつながれる。そこで強く印象に残ったのは子どもたちの姿だった。 「エサを与えたり、体を拭いたりして、ペットのように接していた。ぼくらだったら、『殺す牛だから、情が移らないように、子どもたちの目につかないように、こっそりと飼っておこう』という発想になると思うんです。でも、まったくそんなことはなかった」 さらに、「命を奪う現場を子どもたちに見せちゃいかん、ではなく、積極的に子どもたちが手伝っていたのも印象深かった。しかも、ぜんぜん臆することもなく。逆に、ぼくがいちばんビビッていましたね。『やめてー』みたいな」。 それは、祭り期間中のある日の朝、路上でいっせいに始まった。 白い服を身に着けた男たちが「俺の晴れの舞台を見てくれ、みたいな感じで」、刀のような大きな刃物を手にしているのを目にしてビクッとした。 「牛の足をみんなで押さえて、一気に首を切るんです。いちばんきつかったのは、あの声。うぉーって。断末魔の叫び、というか。ほんと、噴水みたいに、びやーっと血が噴き出して、道が血の川みたいになった。白い盛装が赤く染まっていく様子がなんとも言えなかったですね」 その周囲には肉をさばく人やカレーをつくる人がいた。皮を集める人、骨をひたすら砕いている人もいる。 「女の人は内臓とかを運んでいました。無駄のないように。やっぱり、お肉を食べるって、そういうことだよな、と思いましたね。でっかい釜でカレーをつくっていたので、ちょっと食べさせてもらったんですけれど、おいしかったです」
■亡くなった人とどう向き合うか これまで寺本さんはさまざまな宗教をテーマに作品をつくってきた。理由をたずねると、背景には父親を早くに亡くしたことや、友人を病気で失ったことがあるという。 「どこの国でも、人って、何かを信じて、いつか来る死と向き合いながら生きている。ぼくは無宗教ですけれど、いつ死ぬか分からないなかで、自分には何ができるのか、どう生きるべきなのか、考えることが多い。あと、亡くなった人とどう向き合うべきなのか。そんなことを考えるきっかけとなることをメインに撮っています」 昔は行ったことのない国を訪ね歩いたが、最近は「深く知りたい」という気持ちが強くなり、同じ国を繰り返し訪れることが多いという。 「そこでいろいろな話を聞いたりする。そこで目にしたことを写す、というより、自分がどう感じたのか。それを写真に撮り、見て、考えたいと思いますね」 フィリピンで暮らすカトリック教徒の撮影にも打ち込み、19年にはマニラを舞台とした作品「墓場から揺り籠まで」で土門拳文化賞奨励賞を受賞した。 「ぼくが、特定の何かを信じる、ということは、この先もないと思うんですけれど、こういう選択肢もある、ということはは知っておきたい。旅の間、ずっとそんなことを考えているわけじゃないですけど(笑)」 今回は宗教に「食」を絡めて写したが、それを国内の食肉処理の様子と対比して見せたかった。しかし、工場に撮影をお願いしたものの、断られてしまった。 ■ハンバーグの写真も 寺本さんは、頭に華やかな飾りをつけた牛の写真を見せながら、「これは、すごくいいなあ、と思って」と言う。 「食肉処理の現場では効率や清潔さがいちばん重要だと思うんです。でも、動物にも魂みたいなものがある、とすれば、こういうところも大事だよね、と思う」 写真展会場には、近所のスーパーの食肉売り場や、ハンバーグやチキンナゲットに加工された肉の写真も並ぶ。 「子どもが見たら、お肉とはこういうものかな、と思う身近な写真も入れて展示を構成するつもりです」 (アサヒカメラ 米倉昭仁) 【MEMO】寺本雅彦「命は循環し、魂は巡礼する」 オリンパスギャラリー東京 12月16日~12月27日
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