2020年3月11日水曜日

群馬の小さな町が直面し続ける移民流入の現実

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200309-00331370-toyo-bus_all
3/9(月) 5:40配信、ヤフーニュースより
東洋経済オンライン
 群馬県でいちばん小さな町「大泉町」に住む外国人の数は7997人(大泉町調べ・令和2年1月31日時点)。人口わずか4万2000人ほどの町民のうち、およそ5人に1人が外国人だ。日本有数の外国人タウン、といっても決して大げさではないだろう。

【写真】大泉町は外国のような街並みになっている

 時代をさかのぼると、1986年時点では、町内の外国人居住者の数はわずか222人だった。現在は外国人居住者の大半を占める4580人のブラジル人も当時は0人だった。

■製造現場の担い手としてブラジル人が多数移住
 町が一変するのは1990年を迎えてからだ。SUBARUや三洋電機(現・Panasonic)、味の素といった大手企業の製造現場において深刻な人材難が生じた。1990年に入管法が改定され、定住者への在留資格が創設された影響で、1992年には一気に2304人の外国人が移住をしてきている。

 そのうちブラジル人は1528人を数え、大泉町は“日本のブラジル”と呼ばれるほど南米系のコミュニティーが強くなったのだ。母国よりお金が稼げるいわゆる“出稼ぎ”労働者と、労働力を求める自治体の意図が合致したことで、多くの南米からの移民がこの地を目指した。
 そして、この勢いは一時的なものでは終わらなかった。2008年のリーマンショックでは一時的に約80%の日系人は解雇に至っている。全国約32万人の日系ブラジル人の数が、約16万人に減少したあおりを受けるように、多くの居住者はこの町を離れた。それでも不思議なことに、数年後には彼らは再び大泉町に戻ってきていた。

 ブラジルタウンであった大泉町に新たな変化が生じたのは、この数年のことだ。

 移民政策へと舵を取った日本政府の政策の影響で、日本人は減少傾向にもかかわらず、外国人の定住者の数は増え続けており、5年前と比較しても実に1200人以上が増加。とくにアジアからの移民の増加が顕著で、10年間で1000人近いアジア系の移民がこの町に移り住んでいる。
今何が起きているのか。変化の時を迎えている大泉町を歩いた。

 「10年くらい前まではね、ポルトガル語とせいぜいスペイン語の表記があれば事足りた。それが今ではアジア系の言語の表記も必要になったから大変です。いまだにこの町では日本語を読める外国人の割合は圧倒的に少ないですから」

 大泉町で日用品の個人商店を営む日系人の女性は、複雑な表情を浮かべながらこうぼやいた。

 以前、筆者が大泉町を訪れたのは5年前。最寄り駅の「西小泉駅」から下車すると、かつて滞在したブラジルと重なる熱気と混沌を感じたことが強く記憶に残っている。一方で当時からアジア系の移民が増えている、というような話もよく聞いていた。
 改めて町内のメインストリートである、グリーンロードを歩くと明らかに南アジア系の店舗が増加していることが目につく。近くに飲食店を構える篠原晃さん(60)も、町内の変化を感じ取っていた。

 「かつてのブラジル人を凌駕する勢いで、アジア人の進出が目立つようになりました。この通りでは、ネパール、ベトナム、カンボジアといった国の人たちを最も見るくらいですから。面白いのは、各地域にコミュニティーがあり、彼らはほかの地域のコミュニティーとは決して交わらないということです。私も自分の飲食店が国籍を問わず垣根なく集える場所にしたくいろいろ試みましたが、結果的には頓挫しています」
 とくに増加が激しいのがネパール出身者だという。2011年時点で82名だった移住者は、2018年には671人に急増した。ネパールから日本に来て9年。隣接する太田市在住だが、わざわざ大泉町に店舗を構えたというのはギタ・べトワールさん(32)。グリーンロードに食料品店を営むギタさんは、店舗の状況についてこう話す。

 「ネパール人はもちろん、ベトナムやカンボジア、タイ人が主なお客様です。ブラジル人や南米系の人は来ませんし、日本人もほとんど来ない。言語の問題はありますが、ほかの国の人たちとの接点はほとんどないです。
つまりこのお店は、アジア系のコミュニティーだけで成り立っていることになります。ネパール人がなぜこの地域に多いのか?  それは大泉町が住みやすい、という話を同胞から聞き集まってくる人が多いからでしょうね」

■3Kの仕事を担うアジア系移民

 大泉町に住む外国人とひとくくりにしても、大きく分けて3つに分類される。1つはブラジルやペルーを中心とした南米からの定住者。インドネシアやベトナムといった東南アジア圏の国からの技術実習生に代表されるような、一時的にこの町を訪ねた人々。そして、ネパールや中国を中心とした、日本の別の地域からこの町に流れてきた層だ。
 大泉町観光協会副会長である小野修一氏は、彼らの違いについてこう分析する。

 「この町では、もはやかつてのブラジル人に代表されるような「デカセギ」という言葉は死語です。家を購入する定住者も多い中で、さらにインドネシアやベトナム、タイといった国から技術実習生の受け入れ準備も進めています。そのほかでも、留学や短期の労働者と思われるアジア人も流れてくるようになってきている。

 私見ですが、アジア系の労働者は2、3年で移ることが多いので、これ以上大幅にアジア人が増えることはないでしょう。ただ同じ水準で今後もこの町に働き口を探しに来る人はいると見ている。ブラジル人より安く使えるアジア人は重宝される傾向にある。彼らが従事するのは、日本人が嫌ういわゆる『3K』の仕事。慢性的な人手不足であるこの町では、彼らの労働力に頼っている面が大きいのです」
 その一方では受け入れ体制を進め、労働条件に関しては改善されつつあるという指摘も聞こえてきた。日系人を中心とした同町内の人材派遣業会社の従業員が明かす。

 「労働条件に関しては、一昔前よりもだいぶよくなりました。正社員で働くよりも派遣で働くほうが稼げる金額が多いくらいの水準まできています。求人件数も増加傾向です。群馬県は基本的にモノづくりの県であり、近年ではとくに慢性的な人材不足に陥っていて、県全体でも、もはや外国人の労働力なしでは成り立たないところまで来ています。
一方で、企業からの要求は年々高くなっており、『日本人と同程度の日本語レベルが欲しい』と言われることが多いので、働き手とのギャップも生じています。日系ブラジル人の方は仕事を選ぶ傾向にあり、なかなか長期での雇用につながっていないという問題もあります」

 語学や家庭教育の問題で、日本で働く素養がない移住者が増えていることも事実だ。教育や労働現場でも問題が顕在化している。さらに行政面でも、住民税や健康保険料といった納税、教育費といった財源面で苦悩しているのも現実だ。
 大泉町の町長である村山俊明氏は、『文藝春秋』(2018年11月号)(「外国人比率トップ群馬県大泉町の悲鳴」著:高橋幸春)の中で、町の財政状況に関してこのように述べている。

 「ブラジル人をはじめとした定住者を取り巻く問題は教育や納税、社会福祉など多岐にわたります。現行制度のままでは、地方自治体だけの対応で外国人労働者を受け入れることは、もはや限界です。大泉町の努力だけでは、『共生』は進まない状況にあるのです」
 村山氏が定義する問題の1つには、外国人居住者の生活保護受給率の高さも挙げられるだろう。大泉町の生活保護所轄課によれば、大泉町全体の生活保護受給者は375人。その内外国人が締める割合は94人で、実に全体の25.1%を占める(数字は2018年末時点)。

 担当者は筆者の取材に対して、「人口的にも外国人の割合が多く、それに伴い、外国人の生活保護受給割合も他市町村と比較すると高くなっているものと考えている」と答えている。
■なぜ生活保護を受ける外国人が多いのか

 さらに取材を進めた結果、生活保護を受けている層は急増したアジア系の人々ではなく、基本的には南米系の移住者の層が多いことも見えてきた。

 この町で生活保護を受給する日系ブラジル人の男性は嘆く。

 「仕事を転々としてきたが、体を壊してしまい働けなくなった。私が日本語をうまく話せないから、子供も日本語が話せなくて、学校を不登校になってしまい、ポルトガル語も日本語も十分に話せないから仕事探しに困った。ブラジルに帰ることも考えましたが、帰国の費用もない。今後は日系4世も増えてくるでしょうが、私たちが解決すべき問題は多いんです」
また、名古屋から大泉町に移り住んだ日系ブラジル人のグランベル・仙台さん(38)は、流暢な日本語で町の事情について明かしてくれた。

 「合う合わないはありますが、私にはこの町が合わなかった。名古屋ではブラジル人らしく、個々の生き方を重視するライフスタイルでしたが、この町では同じブラジル人の中でもいくつかコミュニティーがあり息苦しさを感じました。日本に長く住んでいる人が多いため、考え方まで日本人のように染まっていました。
 そして、生活保護を受けている同胞が多いという理由で、ブラジル人=怠け者という目で見られることも耐えがたかった。ブラジル人の中には、アジア人に仕事を盗られているという認識を持つ人もあり、そういう感覚も理解できなかった。そんな経緯もあり、春からは名古屋に戻る予定です」

 もっとも行政の対応が不十分かといえば、必ずしもそうではない。外国籍の児童には就学義務はないが、公立の義務教育は希望すれば全員受けることができる。
 クラスの約4分の1を外国人の子供が占めるこの地域では、ほかではない取り組みも実施されている。例えば、教師のほかに通訳がつき、不登校児のための学習支援を行い、日系人の子供への日本語教育費用も町が負担している。

 外国人児童へ向けたフォロー体制は整っているともいえるだろう。事実、町内で日本人の声を拾っても「行政にできることは限られている」という声が大半だった。その一方では、学力的な問題やいじめといった事情で中学すら卒業できない子供も珍しくない。
 そういった学習難民の救済のために、町にはブラジル人学校も点在している。1991年に開校し、現在約120名の生徒が在籍する日伯学園代表を勤める高野祥子さん(75)が言う。

 「小、中学生で不就学になる日系ブラジル人の子供たちに共通しているのは、授業についていけないことで学校を楽しめていないということです。語学上の問題で、自分を落ちこぼれだと思い込む生徒が多い。

 学校で通訳はつきますが、通訳の内容事態がわからないこともあり、学校教育の前の家庭教育の時点での言語習得がうまくいってないケースが多いんです。
保護者の大半は工場などでの肉体労働者の方。教育水準の理解も違い、教育に無関心で、学校に通わないことを問題視してない方もいらっしゃる。それほど、日本の学校になじめない子供がたくさんいることも現実です。日本語もポルトガル語も中途半端というのがいちばん問題ですが、そういう子も中にはいます。子供たちの未来を考えるなら、教育の分野での環境整備を進めないと、同じような苦労をする子供は今後も出てくるでしょう」
■これは大泉町だけの問題ではない

 今後も外国人移住者の所得格差が進んでいくことが予測されるだけに、大泉町が抱える教育、労働、税収といった多角的な問題の本質は根深い。労働力不足で移民が増えることが確実な日本では、これは単なるイチ地方自治体で終わる話ではなく、近い将来全国的な問題として普及していくだろう。

 受け入れ体制が進んでいる大泉町ですら、問題は山積みである。だが一方で、試行錯誤を重ねながら共生への道を探り続けた大泉町の存在は、多くの市町村にとってモデルケースとなる可能性を秘めているといえるだろう。
 後編に続く
栗田 シメイ :ライター

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