Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/df40119c9bb712811a0f2066f2fe0fda7f2f9c66
人生において「期待しすぎず、希望を持つこと」が大切だと、元自衛官ぱやぱやくんは語ります。期待とは「何かが自分にもたらされることを願う」ことであり、他人や状況に依存しがちな考え方です。一方、希望は「自分がこうありたいと願うこと」。自己の力でできることに目を向け、必要以上に落ち込まないための心構えを保つ手法です。著者最新作『社会という「戦場」では意識低い系が生き残る』から、希望を持ちながら生きる秘訣をお届けします。 【マンガ】社会という「戦場」で生き残るには…元自衛官が教えるサバイバル術はこちら! * * * 期待はしないほうがいいですが、希望は持たなくてはいけません。 そもそも、期待と希望の違いですが、期待とは「自分に何かが起きて欲しいと願うこと」であり、希望とは「誰かや何かがこうあって欲しいと願うこと」です。 ここには、大きな違いがあるのに気づきましたか。 希望は、自分が「こうありたい」と思うことなのですが、期待はまさに「待」という字にもあるように、誰かや何かからもたらされることを待っているものなのです。 たとえば、「自分は将来、大きな家に住んで幸せな家庭を築きたい」と考えることは希望ですが、「競馬で一山を当てて、高級車を買いたい」というのは期待です。 私が考えるに、あまり落ち込まない人は、希望を強く持っているが、期待はあまりしないというタイプです。 つまり、自分の力でどうすることもできないことに頼らず、自分でできることややれることにフォーカスしている人が多いです。 一方で、よく落ち込む人は「希望はないが、すぐに期待をする」という傾向にあると思います。つまり、他人にさまざまなものを委ゆだねてしまっているのです。 イメージとしては、「暗い顔をしてパチンコをしている人」に近いのかもしれません。 つまり、自分自身で生きる意味をなかなか見出せないけれども、目先のギャンブルのリターンには期待してしまっているようなイメージに近いのです。 実はこうなってしまうと、さらなる絶望に打ちひしがれる可能性が高いのです。 なぜなら、期待はすぐに「絶望」に変わってしまいがちだからです。
前述した通り、期待とは「あの人はこれをやってくれるだろう」や「この仕事は報酬に結びつくだろう」と考えることです。 しかし、期待する相手が、他人やものになってしまうので、それが上手く行かない可能性だって十分にあるからです。 また、自力ではなく他力に頼っているので、どうしても「自分の期待」を他人が完璧に応えてくれるというのはなかなか想像しにくいでしょう。 なので、多くの人の経験上、期待は裏切られることが多いですし、残念ながら、結局「全然ダメだった」ということだらけです。 私がネパールの山奥でトレッキングをしたとき、当時の私は、重さ15キロを背負って、果てしない階段を登っていました。 ヘロヘロになりながら登っていると、途中で階段が切れるところがありました。 それを見た私は「あそこが終わりに違いない!」と期待をして、足取りを早めました。 しかし、それは本当にたまたま階段が途切れていただけで、まだ1/3も登っていなかったとわかり、絶望をしたことがあります。 こうしたことは、皆さんも経験があると思います。「今年はボーナスの査定が良いに違いない!」とか「これは褒めてもらえるだろう」と思っていると、期待を裏切られたときに、絶望感を覚えることがあります。 ムダにがっかりしないためにも、そして日常でいちいち絶望をしないためにも「期待はあまりしないほうがいい」と念頭に置いておいたほうがいいでしょう。 (ぱやぱやくん) ぱやぱやくん/防衛大学校卒の元陸上自衛官。退職後は会社員を経て、現在はエッセイストとして活躍中。名前の由来は、自衛隊時代に教官からよく言われた「お前らはいつもぱやぱやして!」という叱咤激励に由来する。著書に『飯は食えるときに食っておく 寝れるときは寝る』(育鵬社)、『陸上自衛隊ますらお日記』『今日も小原台で叫んでいます 残されたジャングル、防衛大学校』(以上、KADOKAWA)など。
ぱやぱやくん
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