2018年9月11日火曜日

亡き友の思い背負い、ヒマラヤ登頂へ 75歳山岳会会長らの挑戦

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180905-00010003-nishinpc-soci
9/5(水) 、ヤフーニュースより

 九州大山岳部と卒業生でつくる九大山岳会が6日、ヒマラヤ山脈の未踏峰タサルツェ(6343メートル)登頂に向けて出発する。隊を率いるのは山岳会会長で九大名誉教授の中溝幸夫(さちお)さん(75)。九大山岳会初のヒマラヤ遠征で仲間を失い、しばらく山から離れていた中溝さんの心に再び火をともしたのは、くしくも国内で起きた九大山岳部員の遭難事故だった。来年は創部70年。命を落とした後輩たちの思いも背負い、新たな道を切り開く。

 今回挑戦するタサルツェ峰は、ネパールのダウラギリ山群の一部。まず南西に位置するタシカン1峰(6386メートル)を越え、タサルツェ登頂成功後は同じく未踏峰のタシカン北峰(6403メートル)も目指し、約1カ月間で3座を踏破する計画だ。チームは中溝さんを含む5人の山岳会会員と、山岳部所属の現役大学生3人で構成する。

 中溝さんは1961年、九大入学と同時に山岳部に入部した。文学部助手を務めていた71年8月、ヒマラヤ山脈のダウラギリ5峰(7585メートル)登頂を目指して山岳会初のヒマラヤ遠征に出発。約4カ月の計画で登頂する予定だった。
帰国後、山には足を運べなくなった
 10月6日、6千メートル地点で雪崩が発生。近くでキャンプ設営に当たっていた隊員の千々岩玄(ふかし)さん(享年29)が約千メートル下まで流された。別の場所にいた隊員らが駆けつけて捜索。雪に埋もれた千々岩さんは意識不明の状態で見つかり、救命措置を施したものの息を引き取った。隊は登山を中止。冷たくなった千々岩さんをベースキャンプ付近まで運び、荼毘(だび)に付した後、撤退した。

 死は常に隣にある。頭では理解していても、1学年下の千々岩さんの死はこたえた。「新婚だった千々岩君が『妻にプレゼントしたい』と、キャンプ周辺に咲いていたエーデルワイスの花でしおりを作っていたのが今でも忘れられない」。帰国後、山には足を運べなくなった。
 15年ほど過ぎた頃、思いがけず、山に戻ることになる。岐阜、長野両県にまたがる穂高連峰で山岳部員が遭難死する事故が発生。登山経験を持つ中溝さんに九大から「山中に残る遺体の搬出作業に力を貸してくれないか」と連絡が入った。戸惑いもあったが、力になりたいと思い引き受けた。中溝さんを中心にチームをつくり、傾斜80度の断崖を登って遺体を搬出した。若くして逝った後輩の無念、救出へ一丸となって動いた仲間たちの熱意。さまざまな思いが、再び山への情熱を呼び覚ました。
 登山を再開した中溝さんは2010年、山岳会が約40年ぶりに計画したヒマラヤ登山に参加。翌年のタサルツェ峰登頂にも挑戦した。積雪量が多く途中で撤退したが、手前のタシカン1峰は登り切った。
 今回はタサルツェ再挑戦。中溝さんは「大自然を前に、自分の力の限界に挑戦できるのが登山の魅力だ。安全を最優先に、山頂を目指したい」。未踏の頂から、どんな景色が見えるのか。仲間と共に、心に刻もうと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿