Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171108-00000009-asahi-spo
11/8(水) 、ヤフーニュースより
11/8(水) 、ヤフーニュースより
早稲田大学山岳部が、ネパール中央部の北側、中国国境にほど近いヒマラヤ山脈の未踏峰「ラジョダダ(6426メートル)」の登頂に世界で初めて成功した。20代の同部OB2人、現役部員1人の3人で編成された早大隊は先月17日、頂上を征服。部員減少に悩む大学山岳部の地力を改めて示した快挙だ。
ラジョダダはネパール政府が3年前に登山を解禁した104座の一つ。解禁間もない未踏峰だけに情報は皆無で、山をはっきりとらえた写真もない。隊員は公開された山の緯度と経度を地図上に丹念に落とし込んでいく過程で、この未踏峰を特定して挑んだ。
氷河上に設けた最終キャンプ(5730メートル)を出発したのは、10月17日午前3時20分。無風、快晴、気温マイナス6度。好条件下でのアタック開始だった。
■頂上アタック26時間
尾根を一つ越えたところで現れた、傾斜の緩い雪原が誤算だった。腰まで埋まるほどの深い雪でペースが鈍り、時間を大幅ロス。夕方までに最終キャンプへ戻る予定は完全に狂った。ただ、萩原鼓十郎隊長(24)は「天候が安定していたから、大丈夫だという確信があった」。ビバーク覚悟で前進を続けた。
頂上への最後の雪稜(せつりょう)は斜度70度。直下に到着したのは正午過ぎ。右手の崖は、2千メートル下まですっぱり切れ落ちていた。ロープを使って慎重に高度を上げ、午後5時半、頂上に到達した。
日没間近で紫色になった空の下、鈴木雄大副隊長(23)は「世界初という興奮はありながら、終わってしまった寂しさもあって、どこか現実でないような感じだった」。唯一の現役部員、福田倫史隊員(21)は涙が止まらなかったという。
夜通し下山を続け、再び太陽が昇るころに最終キャンプに帰還。下山を含めて、プレッシャーの中で過ごした26時間に及ぶ頂上アタックを3人は「人生で一番疲れた」と振り返った。
■「想定外」を越えて
早大隊の挑戦が始まったのは2年前だ。解禁峰の多くが稜線上の小さな隆起だったが、ラジョダダは二つの河川に挟まれた独立峰。美しい山容を思い描き、萩原隊長は勤めていた三菱商事を退職してこの冒険に挑んだ。
3人は9月20日に日本を発つと、9日間のキャラバンを経て、氷河脇の4600メートル地点にベースキャンプを設置。さらに上部に二つの前進キャンプを設けて、頂上を目指した。
途中、迷路のような悪条件の氷河帯も出現。数百メートル下までばっくりと口を開けた氷の割れ目・クレバスを避けつつ、地形図には載っていない高さ20~30メートルの氷壁をいくつも越えなければならず、キャンプ設営は思うように進まなかった。最終キャンプ到着までは山頂は一切見えず、不安にも襲われたという。人跡未踏の氷雪の中で、いくつもの「想定外」を一つずつ越えていった。
■変わるヒマラヤ登山
この20年ほどで、ヒマラヤ登山を取り巻く状況は大きく変化している。世界最高峰のエベレスト(8848メートル)のノーマルルートには固定ロープが張り巡らされ、年間数百人が登頂する。以前は珍しかった「7大陸最高峰登頂」も、登山ガイドたちが組織するツアー登山の台頭などで難易度が大きく下がり、登山史的な意義や冒険的価値を失った結果、とても「快挙」とは言えなくなった。
2020年に創部100周年を迎える早大山岳部が未踏峰に挑んだのはそんな背景がある。萩原隊長は、「この尾根を越えたら何が待っているのか、誰も知らない。そんな恐怖と困難の隙間に、山登り本来の面白さが詰まっていたように思います」と振り返った。(吉永岳央)
ラジョダダはネパール政府が3年前に登山を解禁した104座の一つ。解禁間もない未踏峰だけに情報は皆無で、山をはっきりとらえた写真もない。隊員は公開された山の緯度と経度を地図上に丹念に落とし込んでいく過程で、この未踏峰を特定して挑んだ。
氷河上に設けた最終キャンプ(5730メートル)を出発したのは、10月17日午前3時20分。無風、快晴、気温マイナス6度。好条件下でのアタック開始だった。
■頂上アタック26時間
尾根を一つ越えたところで現れた、傾斜の緩い雪原が誤算だった。腰まで埋まるほどの深い雪でペースが鈍り、時間を大幅ロス。夕方までに最終キャンプへ戻る予定は完全に狂った。ただ、萩原鼓十郎隊長(24)は「天候が安定していたから、大丈夫だという確信があった」。ビバーク覚悟で前進を続けた。
頂上への最後の雪稜(せつりょう)は斜度70度。直下に到着したのは正午過ぎ。右手の崖は、2千メートル下まですっぱり切れ落ちていた。ロープを使って慎重に高度を上げ、午後5時半、頂上に到達した。
日没間近で紫色になった空の下、鈴木雄大副隊長(23)は「世界初という興奮はありながら、終わってしまった寂しさもあって、どこか現実でないような感じだった」。唯一の現役部員、福田倫史隊員(21)は涙が止まらなかったという。
夜通し下山を続け、再び太陽が昇るころに最終キャンプに帰還。下山を含めて、プレッシャーの中で過ごした26時間に及ぶ頂上アタックを3人は「人生で一番疲れた」と振り返った。
■「想定外」を越えて
早大隊の挑戦が始まったのは2年前だ。解禁峰の多くが稜線上の小さな隆起だったが、ラジョダダは二つの河川に挟まれた独立峰。美しい山容を思い描き、萩原隊長は勤めていた三菱商事を退職してこの冒険に挑んだ。
3人は9月20日に日本を発つと、9日間のキャラバンを経て、氷河脇の4600メートル地点にベースキャンプを設置。さらに上部に二つの前進キャンプを設けて、頂上を目指した。
途中、迷路のような悪条件の氷河帯も出現。数百メートル下までばっくりと口を開けた氷の割れ目・クレバスを避けつつ、地形図には載っていない高さ20~30メートルの氷壁をいくつも越えなければならず、キャンプ設営は思うように進まなかった。最終キャンプ到着までは山頂は一切見えず、不安にも襲われたという。人跡未踏の氷雪の中で、いくつもの「想定外」を一つずつ越えていった。
■変わるヒマラヤ登山
この20年ほどで、ヒマラヤ登山を取り巻く状況は大きく変化している。世界最高峰のエベレスト(8848メートル)のノーマルルートには固定ロープが張り巡らされ、年間数百人が登頂する。以前は珍しかった「7大陸最高峰登頂」も、登山ガイドたちが組織するツアー登山の台頭などで難易度が大きく下がり、登山史的な意義や冒険的価値を失った結果、とても「快挙」とは言えなくなった。
2020年に創部100周年を迎える早大山岳部が未踏峰に挑んだのはそんな背景がある。萩原隊長は、「この尾根を越えたら何が待っているのか、誰も知らない。そんな恐怖と困難の隙間に、山登り本来の面白さが詰まっていたように思います」と振り返った。(吉永岳央)
0 件のコメント:
コメントを投稿