2017年11月24日金曜日

カタールに出稼ぎに行ってみたが、まさかの派遣切りに

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171121-00010002-wedge-m_est

11/21(火)、ヤフーニュースより

 2022年のワールドカップの準備に邁進するカタールは、外人労働者200万人の恩恵によって成長が持続できる国である。カタール人はわずか30万人弱。最近は、湾岸諸国の親玉とその同調者に難癖つけられ一時動揺したが、日常用品や食糧はトルコやイランなどの別の国からの輸入に切り替え、難なきを得ている。

 同時に欧米諸国や国連機関からは国家ぐるみの労働ブラック国家とも糾弾されている。一方、日本ではカタール政府がアレンジしたツアーを視察して「素晴らしい労働環境だ」などというレポートも出ている。真実はどこにあるのか?

まるで捕虜収容所のようだが
 2012年、懐具合が淋しくなったので、天然ガスで潤う世界一の金満国家カタールに出稼ぎに行くことにした。三権分立、民主主義、女性参政権をうたっているが、独立以来(1868)何度か宮廷革命があったものの、実権を握り続けるサーニー家が首長を独占している。

 だからといってカタール人30万人に不満があろうはずもない。年間所得は1000万円に近く、教育費、医療費、電気代などなんでもタダで、土地も無料でもらえる。企業や政府の幹部の職につき、副業で商店や農場を経営したりしている。中には現業に従事している人間もいるが、のんびりしたもので仕事の時間を守ったことがない。カタール人に生まれたらと何度思ったことか。
ところが私は、200万人を越える外国人労働者の1人。2022年のワールドカップで使う電力のための天然ガス処理設備を作るプラントの末端労働者である。

 職場はドーハから80キロの距離にあるラスラファン工業都市の中のグローバルビレッジ。広大な敷地にはカタール経済の屋台骨を担うガス関連のプラントが存在し、夜はタワーの円筒から出る炎が、この世と思えぬ幻想的な光景を作り出している。

 職場も宿舎も周囲は鉄柵で囲まれ、出入口には歩哨のガードマンが目を光らせている。許可なく撮影もできない。まるで、捕虜収容所だ。とはいえ、ノンアルコールビールなどを置く雑貨屋が二軒ある。広大なグランドもある。インド人はクリケット、フィリピン人はバスケット、日本人はサッカーだ。運動に適しているのは、肌寒いこともある11月~4月頃までで、その後は30度、40度、50度と気温が上がり、外に出る気力が失われる。
職場環境は限りなくブラックに近い
 食堂に行くために朝の4時半に宿舎の外に出る。真っ暗である。空には星が瞬いている。凄まじい風だ。砂塵が舞い上がる。礼拝を呼び掛けるアザ―ンのしぶい声がどこからか聞こえて来る。

 勤務時間は、朝6時から夜7時頃まで、月月火水木金金土日で、たびたび祝日の金曜日も出勤となる。現場に出る時は、ヘルメット、サングラス、顔面マスクで凄まじい砂嵐を防御する。隣にいる同僚の声が聞こえない。マスクを通して砂粒の粒子が喉の奥にまで侵入してくる。秒速25ノット(約13m)になると仕事は中断される。

 職場は30カ国を超える国籍の人間の集団から成る。インド、フィリピン、ネパール人が主体だが、シンガポール他のアジア、エジプトなど中東諸国、オーストラリア、イギリス、ベネズエラなど。

 筆者に割り当てられたスタッフ4人はみなインド人でイスラム教徒。出入りの業者の担当者、政府の中間管理職、近場の漁村の漁師も全員インド人で、まるで久しぶりにインドで働いているような気分になる。

 その年、ラマダンは7月20日~8月18日。最も熱い時期と重なった。テレビではサウジアラビアメッカでの夥しい数の信者の巡礼の様子が延々と放映されている。

 オフィスを出ると苛烈な相貌を顕わにした太陽が君臨している。凄まじい日射しは身体を刺し抜く。現場サイトに赤旗が挙げられている。赤旗は摂氏40度以上を示す。外の作業は中断される。

 ラマダンの期間、イスラム教徒は12時までしか仕事をしない。日の出から日没までは断食。敬虔なインド人は水も飲まない。フィリピン人や日本人はいつもと同様に働く。こんな過酷な自然環境下、残業はしばしば月100時間を越える。病気になるスタッフも多い。目がおかしい、喉がおかしい、腹の調子がへん、といつの間にか母国へ帰っている。

 ある意味、王族と自国民が君臨する奴隷制国家である。もちろん、奴隷ではなく、自国にいるよりもいい給与が支払われるから、筆者を含め外人は集まってくる。出稼ぎ根性で休まずにできるだけ残業代を稼ぎたいのだ。だが、誰もが金満国家で働けるわけではない。スポンサー企業を通じてビザを取得した後に、居住許可をとるための厳しい健康チェックがある。
厳格な健康チェック
 私もドーハの病院を訪れ、エイズを含めた血液検査やレントゲン検査を受けた。検査官はフィリピン人である。病院の回廊と待合室には夥しい数の外人労働者が犇めいている。係の人間に「あっちにいけ」「そうじゃない、むこうだ」などと追い立てられる。まるで群畜か奴隷市場だ。

 パスポート照合の係官は、妙齢なカタールの女性。バルカを頭にかぶり、澄んだ黒い瞳だけを覗かせ、アバーヤと呼ばれる黒衣から白い腕だけを剥き出しにしている。その腕全体に青い刺青が施されている。肌を見せる行為が制限された中での鋭利な胸を刺すような色気。一瞬でその邂逅は終わる。

 数日後、再検査となった。以前、アマゾンに住んでいた頃、知らぬ間に結核にかかり、知らぬ間に治癒していた。金満国家なのに旧式のレントゲンなので、その治癒の影が進行したもののように写るのだ。結局、再検査されてもレントゲン画像からは怪しい影は消えない。これ以上被曝するのはごめんなので、再再検査は拒否した。すると、最後は、腕に注射を打たれた。懐かしいツベリクリン反応。

 もちろん肺は純白なのだから、保菌者ではないことが証明され、居住許可が発行された。この間、2カ月。金持ちなら、最新のレントゲン機材を購入してもらいたいものだ。

病気になり、追放される
 過酷な環境下、激務が何カ月も続いた。そのうち体調不良になる。キャンプ内の医療センターにいくと、血圧が160を越えている。会議中に日本語も英語も出てこないときがある。首筋から耳の付け根が痛い。脳溢血や脳梗塞の予兆かもしれない。心配になってドーハの病院で検査するが、問題ないという。疲労とストレスが蓄積されているのだろう。

 「日本に帰って検査したほうがいいよ。問題なければ戻ってくればいい」

 管理者はそういった。そこで日本に戻り、ある大病院でMRI検査を行ったが、とりたてて異常はなかった。ドーハに戻ろうとすると、「こなくていい!」という。

 派遣切りである。日本国内ならば労働法違反の疑義がある。だが半ばせいせいした。昔から命をすり減らす残業はめったにしない。仕事よりも、娯楽、酒、家族に価値を置くようにしている。拙著『サラリーマン残酷物語』(中公新書ラクレ)でも「職場を生き抜く8つの知恵の柱」で過労死・長時間労働撃退法を提言している。それなのに、撃退されてしまったのだからお粗末だ。

 企業が苦しい事情もよくわかる。カタールのようなお金持ちは強い。黙っていても人も企業も集まってくる。企業は激しい競争の中、入札価格を下げに下げてやっと取った仕事である。工期も伸ばせないし、予算上人も増やせない。自然個々人に負担がかかる。勢い、派遣労働者や請負の人間は使い捨てである。

 首都のドーハでオフィスに勤務できる仕事だったならば、別だったかもしれない。世界中の美味いレストランや、サルサが踊れるバーもあり、コロンビア、メキシコ、ブラジルなどのバンドがはいっている。ホテルにはディスコもある。ショッピングセンターではアイススケートさえできる。立派な美術館もある。郊外で砂漠ツアーを楽しんだりできる。カタール人は欧米に留学した外人慣れした人間が多く、開明的で気のいい人々でもある。

 けれども、アジアからのメイドが自殺したとか、無許可であろう私娼が殺されたという噂は何度か耳にした。また、カタール航空のサービスや食事は素晴らしいが、サービスするほうの乗務員は、男女関係などプライベートな生活が厳しく監視されている。私の職場でも女性がいるオフィスでは妊娠に気をつけろと言われていた。妊娠すると出国できないという。

 今はワールドカップの建設ラッシュで、ネパール、インド、バングラデシュ人労働者など1000人以上が建設現場で死亡しているといわれる。あの過酷な環境ではさもありなんと思う。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナル、ILO、海外メディアなどからの数々の非難を受け、FIFAやカタール政府はやっと重い腰を上げ、外国人労働者の労働環境の改善に乗り出した。

 さて、最近、開始された日本企業によるドーハとサッカースタジアムなどを結ぶ輸送システムの建設プロジェクトはどうなのだろうか? この日本国内でさえ、オリンピックのための新国立競技場建設作業で、若者が過労死している。若い女性記者が4年も前に過労死したことをNHKが今さらながら公表する事例もある。

 海外プロジェクトは国内よりも企業の裁量権が大きいのだから、十分配慮してもらいたいものだ。労働環境は民主主義を計る重要な指標のひとつである。
風樹茂 (作家、国際コンサルタント)

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