Source: http://www.hochi.co.jp/topics/20161022-OHT1T50207.html
女性アルピニストの「手本」として世界中から尊敬の念を抱かれていた田部井さんが、天国へと旅立った。
2012年3月に「がん性腹膜炎」と診断され「余命3か月」の宣告を受けた後、手術と抗がん剤治療を受けた田部井さん。政伸さんによると、その後も検査で血液中の数値が悪くなる度に抗がん剤治療を受けていたという。ただ山への熱意は衰えず、年に5~6回は海外登山に出掛け、昨年もスイスのランガード(3262メートル)に登頂した。
今年の7月に体調がやや悪化。入退院を繰り返すようになったが、同月末には「東北の高校生の富士登山」に病院から直行。7合目で参加者を出迎えた。これが最後の登山となった。
9月に喜寿のお祝いをした時は元気な様子を見せており、10月初旬にはラジオの収録にも参加。その後、体調が悪化した。それでも政伸さんによると「見舞いに来た人に気を使わせないように、とにかく前向き。絶対に『痛い』とは言わなかった」。薬で声が出にくくなっていたものの、亡くなる2時間ほど前までは呼び掛けにVサインで応じていたという。
大学卒業後、社会人の山岳会を経て69年に「女性だけで外国の山へ」との目的で「女子登攀(とうはん)クラブ」を設立。75年にエベレストに挑戦し、女性として初めて登頂に成功した。
当時、頂上の印象を聞かれて「ここが一番高いのだから、もう登らなくていいと思いました。だから、下りのことばかり考えていました」と振り返りながらも、「エベレストでおしまい、ということはありません。残された山はまだまだたくさんあります」と意欲。その言葉通り、92年にヨーロッパ大陸最高峰のエルブルース西峰(ロシア、5642メートル)の登頂に成功し、女性として初めて7大陸の最高峰を制覇した。
その一方で、東日本大震災の被災者を元気づけようと一緒に故郷・福島の山に登る活動も続け、昨年のネパール大地震も復興支援した。数年前からブームとなった「山ガール」文化も積極的に後押しし、「ジュンコリン」の愛称で慕われた。女性が登りやすいように山のトイレ整備などを支援したり、「田部井淳子の実践エイジング登山 いつでも山を」などの著作で山登りの楽しさを広めた。
◆田部井 淳子(たべい・じゅんこ)1939年9月22日、福島県田村郡三春町生まれ。62年、昭和女子大卒業後、社会人の山岳会に入会。69年、「女子登攀クラブ」を設立。75年、エベレスト日本女子登山隊の副隊長兼登攀隊長として女性として世界初の登頂に成功。88年、福島県民栄誉賞を第1号として受賞。92年、女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となる。95年、内閣総理大臣賞受賞。
2016年10月23日6時0分 スポーツ報知、GOOGLEニュースより、
1975年に世界最高峰のエベレスト(8848メートル)に女性として世界初登頂した登山家の田部井淳子(たべい・じゅんこ)さんが20日午前10時、腹膜がんのために埼玉県内の病院で死去していたことが22日、分かった。77歳だった。喪主は夫の政伸(まさのぶ)さんが務め、告別式は近親者のみで済ませた。4年前にがんが見付かった後も、治療を続けながら登山を続けていた。今年7月、富士山の中腹まで登ったのが最後となった。12月上旬にお別れ会が行われる予定。女性アルピニストの「手本」として世界中から尊敬の念を抱かれていた田部井さんが、天国へと旅立った。
2012年3月に「がん性腹膜炎」と診断され「余命3か月」の宣告を受けた後、手術と抗がん剤治療を受けた田部井さん。政伸さんによると、その後も検査で血液中の数値が悪くなる度に抗がん剤治療を受けていたという。ただ山への熱意は衰えず、年に5~6回は海外登山に出掛け、昨年もスイスのランガード(3262メートル)に登頂した。
今年の7月に体調がやや悪化。入退院を繰り返すようになったが、同月末には「東北の高校生の富士登山」に病院から直行。7合目で参加者を出迎えた。これが最後の登山となった。
9月に喜寿のお祝いをした時は元気な様子を見せており、10月初旬にはラジオの収録にも参加。その後、体調が悪化した。それでも政伸さんによると「見舞いに来た人に気を使わせないように、とにかく前向き。絶対に『痛い』とは言わなかった」。薬で声が出にくくなっていたものの、亡くなる2時間ほど前までは呼び掛けにVサインで応じていたという。
大学卒業後、社会人の山岳会を経て69年に「女性だけで外国の山へ」との目的で「女子登攀(とうはん)クラブ」を設立。75年にエベレストに挑戦し、女性として初めて登頂に成功した。
当時、頂上の印象を聞かれて「ここが一番高いのだから、もう登らなくていいと思いました。だから、下りのことばかり考えていました」と振り返りながらも、「エベレストでおしまい、ということはありません。残された山はまだまだたくさんあります」と意欲。その言葉通り、92年にヨーロッパ大陸最高峰のエルブルース西峰(ロシア、5642メートル)の登頂に成功し、女性として初めて7大陸の最高峰を制覇した。
その一方で、東日本大震災の被災者を元気づけようと一緒に故郷・福島の山に登る活動も続け、昨年のネパール大地震も復興支援した。数年前からブームとなった「山ガール」文化も積極的に後押しし、「ジュンコリン」の愛称で慕われた。女性が登りやすいように山のトイレ整備などを支援したり、「田部井淳子の実践エイジング登山 いつでも山を」などの著作で山登りの楽しさを広めた。
◆田部井 淳子(たべい・じゅんこ)1939年9月22日、福島県田村郡三春町生まれ。62年、昭和女子大卒業後、社会人の山岳会に入会。69年、「女子登攀クラブ」を設立。75年、エベレスト日本女子登山隊の副隊長兼登攀隊長として女性として世界初の登頂に成功。88年、福島県民栄誉賞を第1号として受賞。92年、女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となる。95年、内閣総理大臣賞受賞。
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